円体無殊
円体無殊
えんたいむしゅ
『法華経』の説く円教とそれ以前の経の説く円教とに異なるところは無いという意。
智顗は『法華玄義』一〇等で成道より入滅に至る釈尊一代の説法を華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五時に分け、その五時の説法を化儀の四教(頓(とん)・漸(ぜん)・秘密(ひみつ)・不定(ふじよう))と化法の四教(蔵(ぞう)・通(つう)・別(べつ)・円(えん))とに配分した。
化法四教からみれば、法華は純ら円教を説き、また華厳・方等・般若も円教を兼帯するのであるから、法華(今)も爾前(昔)も円教そのものは同じであって、爾前の経による成仏も許容されるとする(約教与釈(やつきようよしやく))。
ここから爾前経即ち法華経、法華経即爾前経の思想が導き出される。
聖人は文永八年(一二七一)著の『十章鈔』に「爾前之円・法華円を一とならば、先後によりて法華経に劣らざらんや。
詮するところ、この邪義のをこり、此妙彼妙円実不異。
円頓義斉、前三為麁等の釈にばかされて起る義なり」(定四八八頁)と当世天台宗の円体無殊の義を謗法の根源として破折する。
《『遺文辞典』教学篇「円体無殊」の項、『日蓮辞典』「円体無殊」の項》