妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

始覚

しがく #1641

始覚

しがく

「しかく」とも。
本覚に対す。
心の本は本来覚りのを具えている、さらには凡夫は本来覚っていると観ずることを本覚というのに対し、迷いを次第に翻して覚りに達し、仏になるとするのを始覚という。
馬鳴作の『大乗起信論』では「本覚の義とは始覚の義に対して説く。 始覚は即ち本覚に同ずるを以てなり。 始覚の義とは、本覚によるが故に不覚なり、不覚によるが故に始覚ありと説く」とて、覚らない(不覚)から始めて覚る(始覚)ということがいえるのであり、内に本来覚りの性をそなえている(本覚)から始めて覚る(始覚)ことができるとて、本覚・不覚・始覚は相関的に説かれているが、華厳宗を通り、東密を通り、台密を通って、院政期末に勃興した中古天台になると、始覚の語は残るが、その意義は忘れ去られて、専ら本覚のみが高揚された結果、後世これを「本覚立ち」「本覚ぼこり」「天台本覚論」等と呼ぶに至る。
その文献化は恐らく大部分は鎌倉末期以降であると思われるが、文献化以前の段階において既に本覚思想は叡山を風靡しており、それに反対したのが鎌倉新仏教であるから、日蓮教学にも本覚始覚的反省を加えた面が強い。 唱題という単一化、有相化された修行によって即身成仏を期するところは本覚的立行であるが、三業受持折伏逆化・忍難弘通を勧めるところは、凡夫のあるがままを天真独朗止観として認定する本覚思想とは違う。
《『遺文辞典』教学篇「始覚(しかく)」の項、『日蓮辞典』「始覚」の項》

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