開迹顕本
開迹顕本
かいしゃくけんぽん
「迹を開きて本を顕わす」と読む。
「開権顕実」が法華経迹門の開顕であるのに対し、本門の開顕を説いたものである。
即ち本門正宗分では、史上の釈尊を伽耶近成垂迹示現の権仏に執着するものであると開除して、久遠実成の本仏を顕示することをいうのである。
寿量品に「一切世間の天人及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと謂えり。
然るに善男子、我れ実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」と説かれている。
この文から明らかな如く、開迹顕本とは仏界の権迹を開してその実本を顕すものであって、仏界の権はこれを垂迹といい、実を本地というのである。
また法華経の説相に従えば、近成を開して久遠本地を顕すのであるから、開近顕遠とも呼ぶ。
発迹顕本と同義である。
章安大師の『私記縁起』には「華敷くは開迹に譬え、蓮現ずるは顕本に譬う」(正蔵三三巻六八一頁b)と記し、天台大師の『法華玄義』第七下、釈名章の蓮華釈の項においては「華開きて蓮現ずるは開迹顕本に譬う。
意は迹に在り。
能く菩薩をして仏の方便を識らしむ。
既に迹を識りてより已還は、本を識りて増道損生す」(同七七三頁a)と釈されている。
更に同書の論用章に、余経に対してこの法華経が勝る如来の妙能が示され、本迹ともに十妙の一々においてその妙を開する意味を十重に約して説かれている。
迹門の十重を「十重顕一」と称し、本門のそれを「十重顕本」と呼ぶ。
即ち「本門の力用例して十意と為す。
若し文の便を取らばまさに開近顕遠と言うべし。
若し義の便を取らばまさに本迹と言うべし。
秪だ近を呼びて迹と為し、遠を本と為す。
名異なるに義同じ」(同七九八頁b)と釈して、本門は開迹顕本(開近顕遠)がその力用であることを明示されているのである。
そして、この開迹顕本の具体的な内容を明かすものとして「十重顕本」がある。
それは(1)破迹顕本、(2)廢迹顕本、(3)開迹顕本、(4)会迹顕本、(5)住本顕本、(6)住迹顕本、(7)住非迹非本顕本、(8)覆迹顕本、(9)住迹用本、(10)住本用迹である。
そしてこれらの十重顕本には十意があって、
(1)は破情に約し、(2)は教に約し、(3)は法・理に約し、(4)は行に約し、(5)は仏意に約し、(6)は迹意に約し、(7)は絶言冥会、(8)は機応多端に約し、(9)は師門弟子門、(10)は本地不動周遍法界等の意を内含している。
また『法華玄義』ではこの十重顕本を本門の十妙に配する。
(1)を本因妙、(2)本説法妙、(3)本因妙・本果妙、(4)本因妙、(5)本国土妙、(6)は欠であるが、妙楽大師は本感応妙に配している。
(7)本感応妙、(8)本神通妙、(9)本眷属妙・本寿命妙、(10)本涅槃妙・本利益妙等に配釈が見られる。
また『法華玄義』第七下には「迹中の仏界十如を開して、本中の仏界十如を顕出す」とある。
この意は、迹門において九界の権を開して仏界の実が顕されたが、能開能顕の仏界の実が説かれていないために、諸仏の教行一ではなく、それ故に本門において仏界の久遠を顕示して、爾前迹門に説き明かせる諸仏の本地を知らしめたということである。
以上、本門の開顕の義について、天台大師の解釈を中心に見てきたのであるが、日蓮聖人の法華経受容は、純粋本門法華であることから、この開迹顕本は重要な意味をもつことになる。
『十章鈔』には「一念三千の出処は略開三之十如実相なれども、義分は本門に限る」(定四八九頁)と述べて一念三千の法門の義は本門にあると断定せられた。
そして、その義は、「寿量品の文」の底であって、それは久遠寿量が開顕される「発迹顕本の文」にほかならない。
「しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらはれ」(定五五二頁)ないのであるが、本門に至って始成正覚が破せられるとき本門十界の因果が説き顕され、無始の九界即仏界、無始の仏界即九界となって、真の一念三千が成就するのである。
また釈尊は久遠実成の仏であるという仏格が明らかとなり、三世にわたる生命の常住が明かされるとき、爾前迹門のときは各修各行の仏であったのが、すべてそれらは釈尊の分身として位置づけられ、釈尊は能統一者となられたのである。
しかも依報たる娑婆世界も本国土としての意味が与えられ常住の浄土たる常寂光土であることが明かされるのである。
そして我ら衆生も久遠の釈尊の愛子たることが開顕され、釈尊と衆生の久遠性、両者の生命の根源的な関わりが示されるのである。
このように、開迹顕本は日蓮聖人教学の根幹となるものであり、また聖人滅後の教学においても、同様であった。
しかし迹門と本門との法体論の問題、本迹論等の問題と深く関わりをもつことによって、多くの解釈がなされてきたのである。
《『遺文辞典』教学篇「開迹顕本」「開会」の項、『日蓮辞典』「開迹顕本」の項》