諷誦文
諷誦文
ふじゅもん
諷誦とは元来は経文などを一定の節まわしで暗誦することである。
しかし、広く死者の追善法要などに際して、供養の趣意を記した文章を施主から僧に捧げ、僧が法要の中でその文章を読みあげることが行われるようになり、その文章を請諷誦文、または単に諷誦文と呼んだ。
『本朝文粋』巻一四に見える平安朝時代の諷誦文によれば、その形式は対句を基調とするいわゆる四六駢儷体の美しい漢文で、まず「敬白 請諷誦事」と書し、次に「三宝衆僧御布施 法服一具」というように施物を記し、以下に「右(略)とその趣意を述べ、終りに法要の年月日と施主名とを記してある。
日蓮門下の諷誦文の古いものとしては、日什が嘉慶二年(一三八八)日妙の一周忌に作ったものが有名で、その形式は上記の型を襲っているが、什師所立の教学を薀在しているといわれているように、内容は教学の説述が主で、通常の諷誦文とはかなり異なっている。
一般には葬儀・忌日・年忌などの法要にあたって、導師みずから作文し且つ諷誦して、死者の冥福に資することを目的とするが、新盆の施餓鬼会に諷誦文を供養する地方もある。
本宗の諷誦文を集めたものとして寛文一二年(一六七二)刊『唱諷集』三巻(編者未詳)、明治一四年(一八八一)刊『諷誦歎徳要文集』一冊(毘尼薩台巖編)などがある。
例文
欽み敬って妙法華経中の三宝諸天日蓮大菩薩の御宝前に啓さく、頓写し奉る一代超過の妙経全部
右丹精の意趣は、過去の幽儀(戒名)断七日忌の追福に擬する者なり。夫れ以みれば、三界は皆火宅なれば、悲想八万劫の寿命を羨まず、四州は各〻苦域なれば、北州千年の快楽を欣はず。往いて還らざるは、親子恩愛の永別なり、重山は隔りて道遠し。
落ちて乾く無きは、芳契恋慕の涙なり、河海流れて水咽ぶ。
然れば則ち三世覚了の如来も、尚ほ涅槃の時至れば、応用忽ち止まりたまひ、七宝千子の輪王も、亦寿命の報尽くれば、武勇立ちどころに失ふ。
況や迷倒の凡夫、下賤の群萠をや。
之に因って今の聖霊、一期の報命惟れ極まりて生を他界に移し、一息の吸風俄に尽きて死を目前に顕す。
爰に孝子、其の手を啓いて離別を悲号すれども天も対ふる無く、其の足を啓いて恩愛を哭慟すれども地も未だ応へず。
是れ則ち生者必滅の掟なり、嘆くも還す可からず。
会者定離の習なり、恋ふるも更に由無し。
如かじ有為の妄念に即いて無相の妙果を求め、生死の安業を翻して涅槃の源を迎へんにはと。
爰を以て数輩の浄侶を屈請して超八の妙経を書写し、七七箇日の中陰を制作し、当生の仏果を祈る。
若し爾からば、霊魂此の所修の回向に酬いては、無明癡惑の迷雲速に晴れて、九界六道の空に本是法性の月明らかに照き、三従五障の逆浪忽ちに静まって、三界生死の海に九識真如の水清く湛へんのみ。
仍って誦文件の如し(『唱諷集』巻下-原漢文-刪修)。
《『本朝文粋』、『唱諷集』、『昭和慶弔文例集』、『宗全』五巻、『遺文辞典』歴史篇「諷誦」の項、『国史大辞典』一二巻「諷誦文」の項》