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戒名

かいみょう #2234

戒名

かいみょう

(一)語義
本義(狭義)は受者の名で、教の信者が師とする者から戒律を受け、これを実行することを誓約した時に戒師から授けられる名をいい、転義(広義)には受戒の有無にかかわらず、菩提寺の住職などから死者に与えられた名をいう。
~「法号」とも称す。「戒名」とまぎらわしいものに、法名・法号・法諡(ほうし)・法諱(ほうき)などの語がある。
法諡・法諱は戒名を中国の諡(おくりな)や諱(いみな)に擬した唐風の呼称で、本質的には戒名と異なる。
号は名ではないから、法号も厳密な意味では戒名と言い難いが、現在ではこれらの語がほとんど同義に使われているのが実情であり、特に「戒名」が一般的な言葉となっている。
弘安三年一二八〇日蓮聖人真筆の曼茶羅(京都本法寺蔵)に「俗藤原国貞法名日十」という用例があるのによれば、日蓮聖人は戒名と言わずに「法名」と称したようである。
影山堯雄は聖人戒名という言葉を使わなかったのは、末法無戒の立場から、妙法蓮華経受持することが、律をたもつことだと考えたからであろうという。
そして、室町代には戒名と言った例が多く、戦国時代から江戸時代初期にかけては法名と呼ばれ、元禄一六八八ー一七〇三ごろは法号とよばれることが多かったようである、という(『日蓮宗新聞』第五〇八号)。
しかし、現在では浄土真宗で「法名」と称するのを除けば「戒名」と称するのが社会の通例である。
思うに、宝塔品に 「此の経は持ち難し。若し暫くも持つ者は、我ち歓喜す。諸も亦然なり。是くの如き人は、諸のの讃めたまふ所なり。是れ則ち勇猛なり、是れ則ち精神なり。是を戒を持ち、頭陀を行ずる者と名づく。則ちこれ疾く無上の仏道を得たり」 とあるのであるから、法華経信受の人であるならば、生前に受の儀式を行わなくても、死去に際して菩提寺の住職が生前の俗名に代えて授与した新しい名を「戒名」と呼んでさしつかえない。
古来は、納棺に当たって沐浴剃髪の儀を行い、葬儀に際しては法華経及び祖文等によって悟道の要諦を示し、以て引導悟入せしめた。したがって信、未信にかかわらず、その与えられた名を「戒名」と称して支障なかろう。
ち本宗に於ては、広狭いずれの面から考えても「戒名」と称することに不都合はない。
僧侶が俗名をすてて僧名を名乗ったのは、教伝来後間もないころからであろうが『日本記略』に、一条皇の永延元年九八七九月、真言院に於て童子五五人にを受けさせ、諸社の名から一字を取って僧名とした、ということが見える。 これなどは「戒名」の古い例であろう。

(二) 戒名の様式
戒名(法名)は、古くは二字を原則としたようである。
藤原道長(九九六ー一〇二七)は剃髪して行覚と称し、平清盛(一一一八ー八一)は剃髪して清蓮といい、後には静海(または浄海)と改めている。
聖人も父に妙日、母に妙連の法名を与えたと伝えられており、江戸代の初期ごろまでは、二字あるいは四字のものが多い。
しかし、次第に身分に応じて院号を冠したり、雅郷や日号などを添えるようになり、中期以降にはそれが庶民にも及び、ひいて今日に至っている。
そして本宗現行の戒名は、ほぼ次のような形になっている。
(1)○○水子(嬰子・嬰女・孩女・孩女・童子・童女・信士・信女)(2)△△○○童子(童女・信士・信女)(3)□□院○○信士(信女)(4)□□院△△○○信士(信女)(5)□□院○○日▽信士(信女)(6)□□院○○日▽居士(大姉)(7)□□院殿○○△△日▽大居士(清大姉)(5)と(6)の中間的なものとして、□□院○○居士(大姉)、□□院日▽居士(大姉)なども用いられている。
○○部分が狭義の戒名であると考えてよかろう。 □□の部分を院号という。
△△の部分は道号とも呼ばれるが、道号というのは、もと中で道士(道教の修行者)に賜わった称号であったが、わがでは教に帰依した人が名を改めた、これを道号といった。
また、僧侶が字(あざな)に他に用いる称号を道号といったこともある。
更に本宗では男子の戒名に法の字を、女子の戒名に妙の字を用いることが古くから行われている。 その由は明らかではないが『千日尼御前御返』に「女人の一生の間の御は諸の乾草(かれくさ)の如し。 法華経の妙の一字は小火の如し。 小火を衆草焼け亡ぶるのみならず、大木大石皆焼け失せぬ。 妙の一字の智火以て此の如し。 諸消ゆるのみならず、衆かへりて功徳となる」(定一五九八頁とあり『王日殿御返』に「女人変じて妙の一字となる。 妙の一字変じて台上の釈迦となるべし」(定一八五三頁)とあるなどによって、女人の戒名に妙の字を用いているようになり、それに伴って妙法の法の字を男子に分与するようになったのではあるまいか。
更に深く本宗に帰依して、檀信徒の模範となるような人には、聖人の「日」の字をいただいて日▽という号を授けることがあり、これを日号と称する。
そして極めて篤信の人や高位顕官、或は社会的・文化的に知名の士などに対しては、これらの院号・道号・日号などを織り込んだ長い戒名もある。
但し、師級僧侶戒名は、□□院日▽とするのが通例である。
戒名は、その下に死者の性別・年齢・行状等に応じて、その位を示す称号ち位号を添える。
宗定法要式』では「法号種別」と称して、次の在家七種・僧侶四種をあげている。
在家は、(1)水子(流産・死産)、(2)嬰子・嬰女(当歳の男女)、(3)孩子・孩女(二-三歳の男女)、(4)童子・童女(四歳以上-四歳までの男女)、(5)信士・信女(一五歳以上の男女)、(6)居士・大姉(成年男女で社会的貢献があり、かつ宗門あるいは寺門に功績のある)、(7)大居士・清大姉((6)の更にすぐれた人。 この場合、男には院号の下に殿(でん)の字を加えて□□院殿とするのが普通である。 但し現在では、女の戒名にも院殿号をつけたものを見受ける。
以上は在家の戒名の場合であるが、寺院や地方の慣習で、清信士・清信女・清居士・清大姉などの位号も用いられている)
僧侶は、(1)法師(沙弥)、(2)上人(教師級の僧侶)、尼僧は法尼(普通の比丘尼)でも可、(3)聖人(上人・聖人の用法・用例は、時代によって一定せず、明確な区別は立て難いが『宗定法要式』(三九四頁)に「聖人」は六老僧などの特別な方にのみ用い、一般の教師級僧侶には「上人」の位号を用いるという方向が示され、現在でも、一部大山の伝統的用法などの例外も無くはないが、次第に宗内に定着しつつあるように見受けられる)(4)大聖人(宗祖以外には用いない)

(三)撰名の実際
まず、死者の信仰態度や寺門・宗門への貢献度、社会的地位などを考慮して、院号や日号を授与するか否か、信士・居士などの位号をどうするかをきめ、然る後に生前の人柄・職・特技・趣味・容姿などを勘案しながら、故人の宗徒としてまた社会人としての一生にふさわしい文字を選択配列する。
その場合、具体的には次のような配慮が必要であろう。
(1)名を用いること。
たとえ生前の行為が極非道な人であっても、葬送にあたって悟道の要文を授け、断迷開悟せしめた以上、非行を文字どおり表現したような戒名はつけるべきではない。
その他、死者の悲運・不幸・欠点などを直指するような文字も避けなければならない。
このような場合には、悟境を端的に示すような戒名がむしろふさわしかろう。
(2)法華経・祖書・漢籍などに典拠のある由緒正しい文字や雅語を用いること。
積成院(方便品)、情存院(提婆品)、天晴院・地明院(共に『観心本尊鈔』)、猶興院(『孟子』)、杏林院(『神仙伝』)などは院号の例である。
但し神力品の「一心合掌、瞻仰尊顔」の句を分割して、一心院合掌日仰信士・合掌院妙瞻日顔信女とするが如きは、たとえ法華経に基づくとはいっても、拙陋と評せざるを得ない。
また、典拠のある文字でも、あまりむずかしい文字は、特別な場合を除いては避けた方がよかろう。 烹飪妙賁信女・堅勴院妙賶日劄大姉の如きは、いわゆる小僧泣かせの戒名である。
常用漢字には、暗・・疫・汚・怪・凶などのように、戒名には使えない字がかなりある。
従って、もっと幅広い文字の選択が必要で、常用漢字表は戒名に関する限り無視してよろしい。
(3)長短にかかわらず、全体としてまとまった意味があり、且つ宗教が高く、典雅であること。
意味の一貫に欠けたものや、相矛盾するような文字を連ねたものは、よい戒名とはいえない。
例えば、譬如嬰子という戒名は、意味の無い戒名であり、深敬院敢軽信士の如きは、不軽品に由来することは明らかであるが深敬と敢軽と全く矛盾する言葉であって、典拠の用法を誤った戒名である。 これは深敬院不敢信士あるいは深敬院不軽信士とすれば、少なくとも、意味は通じる。
(4)俗名中に戒名にふさわしい文字があれば、適宜に採り入れるがよい。
しかし無に用いるには及ばない、カヨという仮名の女名を嘉応院妙与信女としたような例もよく見られるが、意味をよく考えないと、失敗する危険がある。
また、日号に俗名の一字を用いるときは、伸張に考えなければならない。 銀蔵の銀をとって日銀とすると、日本銀行を連想させる。
略語が氾濫する現在では、語呂のし悪しや連想の良否も、戒名宗教的厳守にとって不可欠の条件であり、しかも語呂や連想の良否はと共に流動的であるから、そのそのの世相や言葉にも敏感でなければならない。
(5)生前に雅号を有する人には、これを用いることもよく行われる。
文貞院古渓日節居士(林竹次郎、号は古渓、字は節)、鶴寿院殿法勲機外日騏大居士(平沼騏一郎、号は外)などの用例がある。
(6)夫婦の戒名は、特別の支障が無い限り対(つい)になるようにし、戒名を一見すれば、夫婦であることがわかるように工夫する。
すでに一方が死亡している場合は、先方者の戒名を参考しなければならないし、新たに一方が欠けた時は、あらかじめその配偶者の戒名も腹案しておくと、好結果が得られる。
(7)男女の別によって、区別して用いなければならない文字が若干ある。
・乾・彦などは男を示し、地・坤・室などは女に用いる文字である。
(8)戒名にふさわしくない文字を避けること。
例えば、・醜・怨・憎・酔・劣など。

(四)その他、
戒名授与に際しては、次のような点に心すべきであろう。
(1)高貴な戒名を慎しむこと。
では「よい戒名」ということが取り沙汰されているが、本質的に考えれば、善い戒名とか悪い戒名とはいう区別のあるはずが無く、戒名はすべて「名」である。
長い戒名居士・大姉などのついた戒名を「よい戒名」だとするのが世の風潮であるが、長くさえあればよいというものではない。
文字には、位の高い文字とそうでないものとがある。 つまらぬ文字のならんだ戒名は、いくら長くても「よい戒名」とはいえないのである。
また、近年は、居士・大姉あるいは大居士などの位号が安易に用いられているようだが、感心できない。
いわゆる「よい戒名」を欲しがるのは人情だろうし、菩提寺側にもそれをよいことにして戒名料なるものの増収をはかる風が絶無とは言い難いが、これは僧俗共に戒名の本筋に立ち返って考えなければならないことである。
いわゆる「よい戒名」がほしかったら、生存中に信心を致し功徳を積むべきである。 (2)戒名料の問題
戒名を授与すると、施主が戒名料なるものを自発的に奉納することもあり、寺によってこれを請求する所もある。
甚だしい場合は、戒名の等級による定価表のようなものを本堂に貼り出している寺もある。 その反対に、戒名料は全く受け取らない寺もある。
いずれも一あるやり方であるが、世間の一部には寺から戒名の高下がきまるのはけしからぬ、という批判がある。
そして、ついには戒名無用論にまで脱線暴走することがある。
住職たる者は、檀信徒に向って生前の積功累徳を勧め、万を金で解決しようとするような不心得者に対しては、毅然たる態で臨まなければならぬ。
住職檀信徒とが戒名の何たるかを正しく解すれば、この問題はおのずから解決の道が開けよう。
(3)通夜説教の際、必ず撰名の事情を説明し、特に遺族に対しては、戒名の読み方を伝授し、且つこれを記憶するように指導すること。
これは布教としても極めて有効である。 そのためには平素から戒名に関する識見を養い、撰名にあたっては、自己の全力を注ぐ熱意が無ければならない。
(4)檀以外の者から臨時に葬式の執行を依頼された時は、戒名を授与せず、位牌には俗名を記しておくがよい。
他宗の者の場合は、せっかくつけた戒名がほごにされてしまうおそれがあるし、たとえ本宗の人であっても、故郷に菩提寺があるような場合は、菩提寺と施主との間にいろいろな事情があるであろうから、戒名菩提寺の判断に任せるべきである。 最終的にはまだ菩提寺がきまっていない場合も同様である。
近年は他の寺で授与された高級な戒名を、後日になって持ちこまれ、菩提寺側がその取り扱いについて迷惑し、施主側も不快な思いをする例が少なくない。 おたがいにこころすべきことである。
(5)戒名住職みずから過去帳に記載すること。
過去帳位牌と石碑とのに、文字の相違が見出される例は決して少なくない。 前後の関係などから、某字の誤りと断定できるものはまだよいが、命日の月日がちがうようなは、全く処置に困るし、亡き霊に対しても申し訳のないことである。 住職みずから念を入れてさえも、絶対に誤記はないと保証はできない。 所化まかせで責任を逃れられるものではない、と覚悟すべきである。
以上を要するに、戒名授与は葬送儀礼の中でも引導と並んで重要な宗教行為である。
これによって死者の生前の信解と死後の成仏とを表徴し、遺族をして菩提心を起さしめるに足るものでなければならない。 いわんや、位牌に書き、過去帳に録し、碑に刻して、永く後世に伝えて広く衆人の目に触れるものであることを思えば、たとえ四字五字といえどもおろそかにはできないことを銘記すべきである。
《『岩波教辞典』「戒名」の項》

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