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菩提心

ぼだいしん #4609

菩提心

ぼだいしん

梵語bodhi-cittaの訳で無上菩提心無上道意・阿耨多羅三藐三菩提心とも訳す。
略して道心・道意・覚意ともいう。
仏果を得ようとして仏道を行ずる心。
大智度論』第四一には「菩薩初めて発心し、無上道を縁じて我当に作仏すべしと。是れを菩提心と名づく」と説かれている。
菩提心を起すことを発菩提心、あるいは発心と称する。
日蓮聖人は『開目抄』に「今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ」(定五五七頁)と法華経弘通の覚悟を述べられている。
聖人出家の動機には諸宗の乱立や承久の変等の社会的事象と聖人自身の主知的な無常感などが指摘されているが、その基本には人としての真の生き方に対する問いかけがあったと思われる。
それが成仏の実現、仏種を植えることへの志向となるのは当然の帰結であったと考えられる。
仏種を植え成仏を期すことは釈尊の本意を知り、その示に随順することにほかならない。
聖人の法華経受持が自己を否定することによって生きる信に立脚するのもこのゆえんである。
そこには法華経に自己を逗ずる不退転の決意が要求される。
聖人の「退転せじと願しぬ」の誓いの言葉は、『開目抄』の後半において「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず」(定六〇一頁)という三大誓願の表明となるのである。
諸難興起のなかで一切衆生の得道を自己の身に問い詰めるところに聖人の「強盛の菩提心」があったと考えられる。
自己の得道を志向し仏道に精進するのではなく、一切衆生利益の菩薩行菩提心の意味がある。
そこに謗法呵責の使命が要請されるのである。
末法における仏道修行とは題目五字七字の受持であり、仏果の証得とは久遠釈尊の因行果徳妙法五字)の自然譲与である。
題目受持は自他に亘る信仰であり、信心唱題と謗法呵責に差異はない。
《『遺文辞典』教学篇「菩提心」の項、『広説仏教語大辞典』『新版仏教学辞典』『岩波仏教辞典』「菩提心」の項》

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