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院号

いんごう #5159

院号

いんごう

院号には大別して、僧侶の居住する処(寺)をさす場合と、尊称として法号の上に加える称号をさす場合とがあるが、通常は後者の意味で用いることが多い。
もとは皇の退位後の住居をさす尊称で、嵯峨皇が弘仁一四年(八二三)退位して冷然(泉)院に移ったのがその初めであるといわれる。 その後、皇后・親王などが生存中に院号を称し、さらに摂関・将軍・大名などにも生存中に院号が与えられ、武家時代には一般の武士にも死後に院号が許された。
こうしたことから死者の戒名の上に院号を加える風習が一般化し、現在に及んでいる。 また一寺を建立して自己の菩提所とした人が死ぬと、その寺の名をその人の院号とすることも行われた。
このように、その来歴からすれば、院号は高貴な身分の人につけるべきものであったが、代の推移と共にその用法が乱れた。 そこで、徳川光圀は水戸の久昌寺に対し、「火寺の名を以て創建の檀主の号と為すは、乃ち本朝中古の風にして、名卿鉅公の称なり。 然るに近世の僧徒、十庶を論ぜず、謾に院号を授くるは、是れ大いなる訛りなり。 向後堅く之を禁ず」(『塩尻』巻四五)と言い渡している。
しかるに毘尼薩台厳は『妙宗戒名字撮要』(明治一五年=一八八二=刊)に、「近世民間に謾に院号ある、僣上の罪なき能はずといへども、是亦時勢の然らしむるなれば、強て咎むべきに非る歟」とやや柔軟な態を示している。
院号よりも一段格式の高い尊称として院殿号とよばれるものも行われている。 これについて徳川光圀は「院号の下に殿字を安(お)くは、乃ち叢林禅徒の伝ふる所の謬りにして、甚だ義無し。 向後縦ひ官爵有る者の故有りて院号を称すと雖も、徒に殿字を加へざれ」(前掲書)とて、本宗に於て院殿号を用いるのをいわれなきこととして、その濫用を戒めている、院号に類するものとして軒・舎・庵・房などの字を用いた古例が存するが、現今ではあまり用いられていない。
身分という観念のうすらいだ今では、その起源来歴にだけ囚われる必要もないが、さりとて院号のつかない戒名は無いというような最近の風潮には、僧俗共に反省を要するのではあるまいか。
《神宮司庁編『古類苑』礼式部二一葬礼三》

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