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葬式

そうしき #4629

葬式

そうしき

葬儀・葬儀式または葬歛式ともいう。
葬という文字は死体を上と下からかくして見えなくするという意味をもつもので、中の『礼記』柦弓第三には「葬とは蔵なり。
蔵は人の見るを得ざらんと欲するなり」とある。
また、インドでは、古くから、水葬、火葬、土葬、林葬(鳥葬)が行われていたことが、『釈氏要覧』(宋、道載集)巻下(『正蔵』五四巻三〇七頁c)の「葬法、天竺に四あり、一には水葬、謂く、これを江河に投げ以て魚鼈の飼となす。二には火葬、謂く薪を積んでこれを焚く。三には土葬、謂く岸傍に埋めて速朽を取る。四には林葬、謂く寒林に露置して諸の禽獣の飼とす」という一文からも知られる。
そして、日本においても、波夫流(ハフル)、(『秦山集』)、はふり(『伊勢物語』)、波夫里(ハフリ)(『古記伝』)などといっており、「葬る」を、ハフル・ハウムルなどと訓じているのは、「放棄する」つまり、死体を遺棄するという意味をつよくもっていたということである。
これは「死」によって腐敗し、くずれてゆく肉体に対する嫌感、恐怖感、死者の霊が及ぼすと思われるわざわいからのがれたいという感情などによるもので、こうした部分は、古代のみに終ったのではなく、現在行われている葬儀の慣習の中にも、色々と残っているようである。
次に、教において、葬式について説いている経典を引いてみると、『浄飯王般涅槃経』(『正蔵』一四巻七八一頁)に「同族の人集り香汁にて王身を洗浴し、布帛を身に纏い棺に収め、別に師子座を設けて之を安置し、散華、焼香をなす、而して後、仏と難陀は前に立ち、阿難と羅云は後について浄飯王の金棺を担わんとせられた。その時、大千世界震動して、四天王形を変じて人となり棺を担うた。仏は手に香炉を執って喪前に進み出で、葬所に引導せられ、仏、大衆と共に香薪を積み、棺をその上に置き、火を放ってこれを焚き、後、収骨して之を金函に盛り、塔を起して供養をなした」と説かれ、また、『涅槃経』後分(『正蔵』一二巻九〇五頁a)に「その時、世尊、右脇にして臥す。頭を北方に枕し、足は南方を指す。面は西方に向い、後背は東方なり。」とあり、また『長阿含遊行経』(『正蔵』一巻二〇頁a)に「阿難、仏に白して言さく、仏滅度の後、葬法は云何んと。仏言さく、葬法を知らんと欲せば、転輪聖王の如くすべしと。阿難又白す、転輪聖王の葬法は云何んと。仏、阿難に告ぐ、聖正の葬法は、先ず、香油を以て、其の体を洗浴す。と」などと説かれているが、現在、仏教各宗でおつとめしている葬式の基本的なところは、こうした経説に符合していると言えよう。
そして、葬儀における法要儀式の体系を比較的早い時期につくり上げたのは、禅宗であると言われているが、これは、禅宗が葬送の儀式を大変重要視する中国の社会を基盤として発展したこと、また、儒教儀礼の影響を強くうけたこと、浄土教、密教の要素をもとり入れて、葬儀式のつとめ方を体系づけたことなどによる。 こうした背景によってできたものが、『禅苑清規』(宋、宗賾撰)であるが、この書には、尊宿(高僧)と亡僧(修行中に死亡した僧)の葬式のつとめ方が載せてあり、在家については、亡僧葬法を準用する方法で用いられていた。 この禅宗の葬法が、我国の禅宗にも行われるようになり『禅苑清規』を改訂して、『小叢林清規』(無着道忠編)がつくられ、僧侶の葬法についても、『禅苑清規』にならって規範が示され、これが、後代の各宗の葬儀式に直接接に影響を及ぼしているようである。

本宗における葬儀の歴史を考えてみると、聖人在世時から、先亡霊回向のために読経することが行われていたことは追善供養のことにふれている色々の御書からもうかがわれるが、どのような形で葬儀が行われていたかは明白でない。
また、聖人御入滅の時の、日興による「宗祖御遷化記録」(『宗全』一巻)を見ても、炬火を先導とした葬列のことは、詳しく記しているが、法式については記していない。
また、聖人減後の教団においても、法華経の縁を結んだ信者達は、葬送のも、法華経とお題目によって、葬儀を営んだことは疑いないが、法式については、はっきり知ることができない。
そして、これが体系づけられ、現行の葬儀法式の基礎ができたのは、優陀邦日輝(一八〇〇-五九)の『充洽園礼誦儀記』、『葬儀用文集』などによってである。
次に、現行の葬儀式について順を追って記す。

(一)枕経(まくらぎよう)、新寂霊の枕頭において営む読経のことで、このには遺体を北枕に安置し、顔を白布で覆う。
枕辺には卓を置き、卓上に香炉燭台・華瓶(梻(しきみ)の一本花を挿す)・枕団子・枕飯・水などを供える。
また、読経のためのお鈴・木鉦(或は木魚)を用意する。
式次第としては、(1)勧請、(2)開経偈、(3)読経(方便品自我偈など)、(4)唱題、(5)宝塔偈、(6)回向、(7)四誓が一般的である。
なお、遺体を安置するのは、仏壇を安置した部屋が望ましい。これは、まず枕経の前に御本尊に法味を捧げてから枕経をつとめるのが本義だからである。
また、枕経のことを検葬(けんそう)ともいうが、この呼び方は、江戸代のキリンタン禁制政策に由来するものである。
枕団子は、早団子(はやだんご)、枕供などともいい、死者の枕辺に、なによりも先に供えるべきものとされているが、数については、諸説があって一定ではない。
この由来は『大般涅槃経』序品第一に「東方に(略)仏土あり、意楽美音と名け、仏を虚空等如来と名く。その時に彼の仏、即ち第一の弟子に告げて言く、汝、今西方姿婆世界に往くべし。彼の土に仏あり、釈迦牟尼如来と号す。彼の仏久しからずして般涅槃すべし。\(略)汝この世界の香飯を持すべし、この香飯、美にして之を食すれば安穏なり。以て彼の仏世尊に奉献すべし、世尊は食し已りて般涅槃に入るべしと。その時、無辺身菩薩(略)彼の国より発って娑婆世界に来至し(略)仏所に来至し(略)合掌恭敬し仏に白して言く、世尊唯願くは哀愍して我等の食を受けたまえと。如来は時を知り、黙然として受けず。是の如く三請するも悉く亦受けずと」生前に受食されなかったので、死後直ちに供えることになったものであろうとされているが、北枕の例などと同じく、釈尊の涅槃になぞらえようとする徒の心のあらわれであるといえる。

(二)湯灌(ゆかん)、納棺に先立って遺体を洗浴することをいい、この、剃式(おかみそり、又はおこぞりともいい、授戒得度の式)を修する意味で、僧侶が剃刀を手に持って辞親偈(じしんのげ)「流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者」の文を唱え、まず、頭頂から額に向って一剃り、次に左横頂から首筋に向って、次に右横頂から首筋に向って各々一剃りした後、頭頂に剃刀をおいて唱題三返するという形をとる地方もあるが、これは、本来日蓮宗の式ではなく、禅宗・浄土宗・真宗等の式が移入されたもののようである。
なお、湯灌のには、参集者全員が僧侶と共に唱題するのが望ましい。
しかし、現代の都会地では、病院で処置をすまして納棺する例もふえつつあるので、こうした習慣も少なくなってゆく傾向にある。

(三)納棺(のうかん)、遺体を棺に納めることをいう。
何故に納棺するかと言えば、『釈氏要覧』巻下に「白虎通に曰く、棺のある所以は、以て形を掩蔵するなり」と記している。
納棺に際しては、経帷子を着せ、数珠を左手首にかけて手を胸に組ませ、手甲、脚絆、足袋、草履、頭陀袋(六道銭を入れる)、杖などを身に添え持たせ、生前の愛用品なども身に添えて納めることが行なわれる。
六道銭とは、六道を旅する際の費用であるといい、また三途の河の渡賃であるともいう。
そして、また紙銭(しせん)といって紙に墨で銭形を六個画いて入れる場合もある。
以上のような副葬品は、葬儀を、死出の旅立ちとしてみていることのあらわれである。

(四)通夜(つや)、葬式の前夜に、死者の冥福を祈るため、家族、近親、縁故の人達が集まり、祭壇をまつり、供物、香華を供えて読経唱題によって供養をなし、また説法を聞き、あるいは故人の思い出を語るなどして夜をすごすこと。夜迦、お通夜などともいう。
→つや(通夜

(五)葬儀、寺の本堂で行う場合と、自宅あるいは、斉場などで行う場合とがあって必ずしも一定ではないが、菩提寺で行う形式の方が歴史的には古いようである。
そして、この場合には、棺を堂内に入れず、正面向拝のところに祭壇を設けて安置するという方法をとっていた(引導文の前段、諸佛諸尊勧請の段を終ったところに「且待須臾」という個所があって、次に、新帰寂霊に対する訣が説示されているのは、この形式を示している)のであるが、当今では、堂内に祭壇を設け、棺を安置する方法もかなり一般化してきている。
祭壇に関しては、三段、五段、七段など数種類の型があるが、そのいずれもが、釈尊涅槃の沙羅林樹下をかたどったもので、段の多少は広略のちがいである。
また、特に日蓮宗の定めた祭壇形式というものはないが、祭壇後方に御本尊を奉掲することが大切である。
次に祭壇荘厳具のいくつかについて記す。
①四華(しか)、紙華とも書きシカバナなどともいうが、白紙を細長く切って棒に巻きつけ、四本ずつまとめて台にさしたものを二台つくり、位牌台の両脇に置くもの。
釈尊涅槃の時、沙羅双樹の林が一時に枯れて、鶴の羽のように白くなったという故になぞらえたもので、古来、高僧入寂の地を鶴林(かくりん)と呼ぶのは、これに由来する。
涅槃経』後分(『正蔵』一二巻九〇五頁a)に「沙羅林は、四双八雙なり。西方の一双は如来の前に在り、東方の一双は如来の後に在り、北方の一双は仏の首に在り、南方の一双は仏の足に在り。その時、世尊沙羅林下の宝床に寝臥し、その中夜において第四禅に入り寂然として声なし。この時頃において便ち般涅槃す。大覚世尊入涅槃しおわる。その時、沙羅林東西の二双合して一樹となり、南北の二双合して一樹となり宝床に垂覆して如来を覆う。その樹、に惨然変白して、猶、白鶴の如し、枝葉花果皮幹悉く皆爆裂して地に墜ち、漸々に枯樺擢折して余りなし」とある。
②白蓮華(びやくれんげ)、泥中に在って、泥に染まず美しい花を咲かせることは、煩悩具足の衆生が仏性の花を咲かせ、悟りの果を得ることをあらわすものであり、『長阿含遊行経』(『正蔵』一巻二八頁a)に「時に諸の末羅(略)双樹間に於て、香華伎楽を以て、舎利を供養す」とあるように、釈尊入涅槃に供えたものであるところから、これを供える。
③この他に、霊供膳・水・茶湯・果菓などを供える。
霊膳の飯椀には、箸を立てる。
この場合、正面から見て一本に見えるように立てるべしといい、あるいは、はじめから一本箸を立てるともいう。
箸を立てることは、上求菩提を意味するとの口伝がある。
棺上を錦裂などで覆うことは、一説には、僧侶が袈裟をつけた姿をかたどったものであるといい、或説には、釈尊の涅槃の時、福貴という弟子が、袈裟を奉り、釈尊は、これを身にまとわれたという故にならうのであるともいう。
また、守刀を置くことは説にはなく、我の中世以降の武の習慣がとり入れられたもので、除けの意味をもつものである。
なお、葬場を黒白幕、あるいは水色幕、または、白幕などで囲うことは、結界(けつかい)の意味である。

(六)位牌(いはい)、もとは中国儒教の位版(死者の官位姓名を記したもの)に由来し、中国宋代(一〇世紀後半から)から禅宗がこれを用いるようになり、次第に各宗に普及したものである。
新寂の位牌を書くは、濃い墨を用い、楷書で端正に書くことが大切である。
上置字、位号等については、『宗定法要式』(平成23年改訂再版 三九三頁)を参照すること。
白木の位牌は、野位牌(のいはい)などとも呼び、仮のものであるから尽七日忌までに塗位牌をつくり、開眼供養をして仏壇に安置する。その時、白木の位牌は、菩提寺に納めて浄焚する。
葬儀式次第については、『宗定法要式』、『日蓮宗信行要典』等に例示されているので、省略する。

(七)出棺のには、自我偈、唱題で回向する。
なお、葬儀場から火葬場(あるいは地)まで行列をする場合には、白幡・天蓋・灯寵などの葬具・鐃鈸・香華・供物などをそれぞれ持役をきめて行列を組む(葬具に書く要文は、『宗定法要式」平成23年改訂再版 三九一頁参照のこと)が、都会地では、一般会葬者は、喪の門口で見送り、火葬場に行くのは、遺族、親族・縁者などである。

(八)松明(たいまつ)(炬火と書く)、炬火を象ったものを右手にとり、順逆に各々一回ずつ円相を画き、次いで、それを棺前に投げてから、引導文を唱えるという作法があるが、この式は本来禅宗に始まるもので、下炬(あこ)という。
禅宗では、葬儀の導師を、秉炬師(炬火を秉る師)と呼んでいる(火葬にする場合が、下炬で、土葬の場合には、钁(かく)〈おおぐわの意〉を用い、これを、下钁(あかく)という)。
台、浄土等の各宗でも取入れているが本宗でも、地方によって行っているところもある。
由来は、中唐代の希運禅師(けうんぜんじ)が、炬火を投じて亡母を引導したという故に始まるという。

(九)荼毘式、火葬場の読経は、自我偈転読、唱題であって、特に定まった式はない。
回向文は、葬儀回向文に準ずる。

(十)収骨式、骨揚げともいい、灰葬ともいう。
この式も、荼毘式と同じく定まった法式はない。
参列者全員で唱題しつつ遺骨を捨うことが望ましい。

以上が葬儀に関するあらましであるが、日蓮宗の法式をもって葬儀をあげる人は、「波木井殿御書」(定一九三二頁)に示されているように「日本第一の法華経の行者也。
日蓮が弟子檀那等」であることが第一条件であるから、僧侶は、檀信徒に対して、日頃つとめて唱題を勧め「霊也、宿福深厚にして一乗信受の家に生れ、常に唱題読誦の妙行を修す」という引導の要文を虚言にせぬようにつとめることが、葬儀の意義をより明確にすることになる。

僧侶の葬儀について=師弟関係、組寺、法類等に遷化の通知をして、まず、誰に葬儀一切の責任者になってもらうかを決め、決定したならば、その人を中心に諸役を分担してもらい、葬儀の準備にとりかかる。
納棺の仕、白衣、白足袋(生前着用の寸法よりやや大きめのものでないと履かせにくい)、清浄衣などを用意する。祭壇に供えるものとして、妙経・御書・払子・念珠・中啓・本衣・七条袈裟を用意する。この中、妙経・御書・払子・念珠・中啓は各々奉書あるいは糊入などでつつみ、上書きをして水引をかけ、本衣、七条袈裟は衣桁に掛ける。白本の位牌(無縫塔型が望ましい)を用意し、能筆の人に書いてもらう。
門前に、「山門不幸」と書いた高札を立てる。
納棺のには、自我偈、唱題の中に、遺体を澡浴、剃髪し、予め用意した、白衣を着せ、白足袋を履かせ、清浄衣、七条袈裟を着せて、棺に納める。この時、着物を左前にするとか、手甲脚絆、杖などを入れるなどの在家葬式の習俗にとらわれる必要はない。
納棺を終ったならば、祭壇を設けて、荘厳具を置き、供物を供え、位牌、写真を安置して、通夜、葬儀のできるようにする。棺には、七条袈裟を掛ける。祭壇の飾り方の中、法衣・袈裟・妙経・御遺文・持仏その他の持物の配置の一例を示す。
また、法衣・五条袈裟を別の包みにして払子・念珠・中啓等の持物と共に供える方式もある。
通夜の式次第について、一例を挙げれば、(一)道場偈(二)三宝礼(三)勧請(四)開経偈(五)読経(略要品、三品経など適宜選読のこと)(六)祖訓(観心本尊抄等)(七)唱題(八)宝塔偈(九)回向(一〇)四誓(一一)三帰(一二)奉送 密葬と称して、通夜の翌日早朝等のをえらんで、荼毘式(だびしき)を行い、日を改めて本葬儀を行うというやり方が、現在多く行なわれている。
荼毘収骨式を終えたならば、遺骨の箱を生前着用した五条袈裟を以てつつむのが通例であるが、これは、棺に七条袈裟を掛けるのと同じ意味のことである。
葬儀の式次第については、『宗定法要式』に例示してあるので省略する。
遺弟の衣帯は、通夜には、黒素絹・木蘭色五条(または清浄衣)、白骨白紙張り中啓、念珠。
葬儀には、清浄衣(袴は着用せず)、生麻七条、白骨白紙張り中啓、念珠。
なお、足袋は履かぬのが本義であるが、参列者に対し非礼に当るとの意で履くべきであるという意見もある。
導師が歎徳文を読まれるには、その脇に控え頭面着地して聴聞し、読み終られたならば、それを頂く。

四門三匝の儀とは、本堂前庭などに場所を定めて、四門、即ち、発心門(東)、修行門(南)、菩提門(西)、涅槃門(北)を立てて、この四つの門を右めぐりに三匝し、四門の中央に設けた壇に棺を安置して法要を営み、その後、列を整え所に向うのであるが、現在は行なわれることが稀になりつつある。
四門を立てる葬場は、およそ七弱四方で、門の高さは一丈三尺程、門の広さは、およそ一半程につくると云われている。

以上が、檀信徒と僧侶の葬儀に関する、あらましであるが、葬儀式については、宗門の法要儀式上の約束事もさることながら、その土地の永年の伝統的なしきたり等も根強く生きているので、これらを無視してかかることは、最上の手段ではない。
一人の人の死を契として、より多勢の人々に法華経の縁を結ばせるようにすることが、葬儀の意義を明確にすることにつながるのである。
《圭室諦成『葬式仏教』、『国史大辞典』八巻「葬送儀礼」の項、皆川広義・白金昭文・中野東禅・檀上尚道・小笠原隆元共編『各教団における葬送儀則』、『充洽園全集』二巻、芳賀登『葬儀の歴史』、『仏教布教大系』三巻、松浦秀光『禅家の葬法と追善供養の研究』、『新編日蓮宗信行要典』、『宗定日蓮宗法要式平成版』》 
(早水弁静)

図版

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