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袈裟

けさ #4700

袈裟

けさ

カシャーヤkāṣāyaまたはkaṣāyaの音写で、袈裟野、加羅沙曳、迦沙などとも書き、意訳して、濁、壊色、不正色、赤色、染衣、色衣などともいう。
律部の諸書によれば、古くインドの団に於て、僧服は、三衣(さんね)すなわち、大衣(僧伽梨)、中衣(上衣ー欝多羅僧)、小衣(下衣または内衣ー安陀会)とされ、また、その色は、五正色(青、黄、赤、白、黒)以外の色、つまり、壊色、不正色と定められたことが知られる。
色については、『十誦律』第一五によれば、青、泥、木蘭の三色である。 銅器の錆のような色(青)、河底の土のような色(泥)、木蘭の樹皮のような黄褐色(木蘭)であり、在俗の人の著衣(白または色文様のもの)とは、きわだった対比を示している。
また、袈裟には、五種賤が説かれている。 体賤(捨てられた破布を用いること。そのために、糞掃衣、衲衣とも称する)、色賤(五正色以外の色に染めかえること)、刀賤(布を割截して、再び縫い綴じること)などである。 いずれにしても、質素で世的に無価値な僧服が要請されたのである。
分截して連縫した袈裟の布には、方形があらわれる。 これを田相と呼び、このために、袈裟福田衣(ふくでんね)とも称する。 方形の縦の線を条といい、条数によって三衣の区別が立てられる。
二十五、二十三、二十一、十九、十七、十五、十三、十一、九条を大衣、七条を中衣、五条を小衣とし、大衣は更に区分することもある。
教が広まるにつれて、寒冷地では、袈裟を褊衫や各種の法衣の上に著けるようになり、また、地域の習俗や朝廷の官服との関係などから、次第に本来の実用的な立場を失い、華美な儀式的なものに変化してきた。 また、畳袈裟(折五条)、小五条など簡易なものも用いられるようになった。
なお、中山、法華経寺と、佐渡、妙宣寺に、日蓮聖人の遺品と伝えられるものが現存する。 いずれも、小五条であるが、特徴としては、現在のものよりも大威儀の幅が狭いことである。 色は、法華経寺のものが、茜または木蘭、妙宣寺のものが、緇(ねずみ色)または、青黒(青みがかった黒)と推定される。
また、江戸代の人、草山元政(一六二三ー六八)がこのんで着用したという木蘭色の七条袈裟は、元政七条(げんせいしちじよう)と呼ばれている。
なお、五条袈裟の大威儀、小威儀を共に肩紐で結ぶようになったのは、江戸代末期か明治以降になってからのことである。
また、折五条は、明治八年(一八七五)に青森蓮華寺住職角田堯現が考案して東京・谷中の松本法衣店につくらせた(当時は、たたみ袈裟と称している)のが始まりで、その後、日清戦争の時、従軍僧として出征した、守本文静、脇田堯淳、望月日謙等が使用して「従軍袈裟」と呼ばれたり、道中に用いる故に「道中袈裟」と呼ばれたりしている。
《井筒雅風『袈裟史』、『遺文辞典』歴史篇「袈裟」の項、『日蓮辞典』『広説仏教語大辞典』『岩波仏教辞典』「袈裟」の項、『新版仏教学辞典』「法衣」の項

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