充洽園
充洽園
じゅうごうえん
幕末の宗学者優陀那日輝(うだなにちき)が、天保四年(一八三三)加賀金沢の立像寺内に設立した学舎。
近世宗学の大成者といわれる日輝は、次代の教団をになう人材の育成を心がけ、藩主前田家の援助のもと、全国から集まる学徒のために薬草喩品から名をとって「充洽園」を創始し、宗学に信行に徹底した子弟教育を行った。
この日輝の膝下にあって鍛えられた学徒が、後に明治維新の動乱期にそれぞれめざましい活躍をし、近代日蓮宗を作りあげた。
日薩・日鑑・日修を代表とする充洽園門下は師の意志を継いで宗門教育の組織・内容を一変し、今日の基を開いた。
優陀那宗学を顕彰して宗門の正統教学と位置づけた彼らを充洽園学派とも呼んでいる。
《『日蓮辞典』「充洽園」の項》