充洽園教学
充洽園教学
じゅうごうえんきょうがく
近世日蓮宗学の大成者、優陀那院日輝(うだないんにちき)は師・日静が住し、後、日輝が継承した加賀金沢(石川県金沢市)立像寺に学室を開き、充洽園と称した。
やがて日輝の私塾である充洽園に全国各地から学生が雲集した。
彼らの多くは既存の檀林の教学に失望したものであり、同じく檀林の在り方に見切りをつけ、転換期の時勢のなかで新たな教学体系を作ろうとしていた日輝に傾倒した。
充洽園門下の新居日薩・吉川日鑑・三村日修らは明治維新に動揺する宗門にあって、日蓮宗の宗名を公称し、教団の保持に当り、他方では飯高檀林を廃して日蓮宗大教院を作り優陀那日輝の教学を中心とする教育を行った。
日蓮宗大教院は〈日蓮宗大檀林→日蓮宗大学林→日蓮宗大学→立正大学〉と発展し、その間、優陀那日輝の著書がその門下の熱心な努力によって次々と公刊され、あるいは『充洽雑誌』『日宗新報』『大崎学報』等に掲載された。
またその教学は小林日董・本間海解・風間随学・清水龍山らによって講述され、継承された。
このように明治以降、日輝の教学が継承され、教団の中枢となったところから、日輝の教学を充洽園教学とよぶ。
なお日輝の著作は明治四一年(一九〇八)その五〇回忌を修した際、全集の編纂が企画され、大正一三年(一九二四)、充洽園全集出版主任玉谷堯海の手によって全五編及び別巻をもって完成された。
昭和五〇年(一九七五)、同書は『優陀那院日輝和上充洽園全集』全五編として編修覆刻されている。