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浄土宗

じょうどしゅう #3945

浄土宗

じょうどしゅう

法然房源空(一一三三-一二一二)を開祖とし、阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の名号を唱えることによって、極楽浄土に往生することが出来ると説く宗派。
源空は古くから天台・真言の二宗を始め諸宗の間で寓宗的存在として行われてきた浄土信仰を一宗として独立させたのである。
源空は一三歳で比叡山に登り皇円の下で出家し修行を続け、更に叡空の門に入り求道の日を送つていたが、四三歳の承安五年(一一七五)三月、善導の『観経疏』にある「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近を問わず、念々に捨てざる者、是れを正定の業と名づく。彼の仏の願に順ずるが故に」という一文に邂逅し、ここに万人の救われる道を見出し、すべての修行法を捨て、ただひたすらに弥陀の名号をとなえる「専修念仏」に帰入し、叡山を下って京都吉水に移住し、専修念仏の義を人々に弘めていった。
この承安五年を浄土宗開創の年とする。
この後、大原問答や九条兼実の帰依などにより門弟の数は増加し、専修念仏えは急速に広まっていった。
こうした中で建久九年(一一九八)、九条兼実の請いにより『選択本願念仏集』(選択集)を著し、浄土宗義の確立をはかった。
これにより浄土宗の正依の経論は『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三経と世親の『往生論』とを合せた三経一論になり、安心(あんじん)・起行(きぎよう)・作業(さごう)の義の確立を見た。
安心とは行者の心のおちつけ方をいい、これに至誠心・深心・廻向発願心の三心があり、この三心を具足して念仏することを肝要とする。
起行とは行者の行いであつて、これに読誦・観察・礼拝・称名・讃歎供養の五種の正行を立て、浄土に往生する要行中の要行とするのである。
とは行者の心がまえであって、恭敬修・長修・無余修・無間修の四修と、平生行儀・別行儀・臨終行儀の三種行儀である。
源空えは当時の社会に大きな影響を与え、たちまちにその平易なえは洛中洛外に広まつた。
既成宗派の人々はこれをよしとせず、念仏停止の訴えが相次ぎ、遂に建永二年(一二〇七)の法難となり、源空始め主な弟子は流または死に処せられた。
源空もなく許されたが洛中に入ることを許されず、摂津の勝尾寺に留ること数年、建暦元年(一二一一)漸く京都に帰り、翌年八○歳で没した。
源空の門弟は数百名もあったが、中でも特にすぐれた者が聖光房弁長、隆寛、善慧房証空、覚明房長西、成覚房幸西、それに親鸞などであつて、これらの人々は各々一派を立てた。
後世に次第に発展していったのは聖光房弁長の鎮西流と、慧房証の西山流である。
鎮西流は然阿良忠、了誉聖冏など秀れた後継者が出たことによって発展し、浄土宗の正統派となり、江戸時代に徳川氏の外護により知恩院や増上寺を中心に強大な勢力を持つに至り、今日の浄土宗団の中心をなしている。
西山派は浄土宗西山派と呼び、京都黒谷光明寺を本山とする。
親鸞一向宗は浄土真宗と呼び、今日の団中で最大の勢力を持っている。
日蓮聖人源空浄土宗教義を「念仏無間」として批判し折伏されたが、それは聖道浄土の二門判を立てて釈尊出世本懐の経である法華経を否定し、西方極楽世界の教主阿弥陀仏を仰いで、我々衆生の住する娑婆世界の主であり主・師・親の三徳を兼ね備えた教主釈尊をないがしろにし、しかも源空の浄土易行の選択法が教法の価値内容に基づかない恣意的なものであり、また衆生にとってかけがえのないこの現実世界の意義を無視したこと、などの点によるのである。
《『遺文辞典』歴史篇「浄土宗」の項、『日蓮聖人大事典』「日蓮聖人と阿弥陀如来・念仏」の項、『日蓮辞典』『岩波仏教辞典』『国史大辞典』七巻「浄土宗」の項》

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