安心
安心
あんじん
(一)仏法によって心の安らぎを得て、動ずることのない境地。
(二)心を一点にとどめて安住させて不動なことをいう。観心に同じ。
(三)法華経の信心によって得る安定して不動なる境地。
法華経の信心決定による証果。
法華経の信心とは妙法蓮華経の五字を受持することで、受持の当処に久遠釈尊の因行果徳の二法が譲与される。
受持を媒介として久遠釈尊の内証に包摂されるところに、私達の心の安らぎがある。
五字の受持は唱題に集約されるが、唱題には次の三つの唱え方がある。
身で唱える身業受持、口で唱える口業受持、意で唱える意業受持がこれで、この三者が一体となって初めて五字の受持となりうる。
日蓮聖人の唱題の勧奨や法華経に身命を「たてまつ」(『開目抄』)られた不惜身命の弘通は、法華経の信心に生きられた聖人の五字受持の相(すがた)であり、ここに聖人の法悦があったのである。
受持の安心は法華経による仏国土の建設のために、自己の身心を現実社会の中になげうつことにある。
このような現実社会における法華経弘通の安心は、後生の安心に連続しており「後生の大楽」(『開目抄』)「未来は決定して当詣道場」(『諸法実相抄』)を約束するものである。
信心の決定とは、自己を久遠釈尊の永遠の生命の中にみることである。
従って現在の安心は三世の安心にほかならない。
以上のように、法華経の信心を本質とする五字の受持は、法華経の実現という現実性・具体性を有し、現実の社会の中に初めて成就するものである。
法華経の信心はきわめて動的であるが、この動的な中に安静として、久遠釈尊に包摂された安心の世界があるのである。
《中村元『広説佛教語大辞典』、『遺文辞典』教学篇「安心」の項》