魔
魔
ま
梵語の魔羅の略。
能奪命、殺者、障者、悪者と訳す。
磨がもとの字で、人身を能く悩害する故に、梁の武帝の時、磨の石を鬼と換えた。
『大毘盧遮那経疏』第一一に、摩醯首羅天王は、勝意生明と名づける陀羅尼をもって、一時にして三千大千世界にあまねくゆきわたって、一人一人の衆生のために種々の大利益を授けるとある。
『孔雀王経』には、大黒天神は、摩醯首羅天の化身で、衆生が一一に異なるに応じて、種々の相を現ずると示す。
第六天は魔醯首羅で、伊舎那天、大自在天とも訳す。
六欲天の最上位の第六天にいる故に、第六天の魔王と名づけられる。
此の天は他を化して自在に楽を得るが故に他化自在天ともいい、また人命を害して人の善事を障礙して慧命を殺す故に魔王と名づける。
『大輪金剛総持陀羅尼経』には、三六種の魔王あって、天魔、虚空魔、一二の魔王、八万四〇〇〇の魔兵を領して眷属とする。
また五〇〇の天魔波旬を動かす事によって鬼畜の害を防ぎ戍(まも)ることができる。
また梵釈日月四天龍神等は正像末の持戒破戒無戒の弟子等を、第六天の魔王悪鬼神等が人王、人民等の身に入って悩乱せんとするときは、必ず治罰する事を十方の諸仏の御前に起請した。
(『富木入道殿御返事』定一五一九頁、『御講聞書』・「天台大師魔王障碍の事」定二五九一頁)四魔とは、『増一阿含経』第五一に身魔・欲魔・死魔・天魔。
『大般涅槃経』第二に煩悩魔・陰魔・天魔・死魔。
『大智度論』第五に、(1)菩薩道を得るために煩悩魔を破し、(2)法身を得るために陰魔を破し、(3)得道して法性身を得るために死魔を破し、(4)常に一心なるが故に一切処に、心著せざるが故に、不動三昧に入るが故に他化自在天子魔を破すと。
天台の『摩訶止観』に陰魔は陰界入の境に属し、煩悩魔は煩悩の境に属し、死魔は病患境に属し、天子魔―第六天の魔王は魔事境に属す。
第六天の魔属である搥惕(ついちよう)鬼(治禅病経下)・時媚鬼・魔羅鬼の三鬼は、悪魔の習慣として、善事を障ぎり悪事をなさしめるを悦び、特に搥惕鬼は禅観を喪失せしめ、時媚鬼は邪法を得せしめ、魔羅鬼はこの二の妨損を具している。
日蓮聖人は『兄弟鈔』(定九三一~二頁)に「此法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずば正法と知るべからず第五の巻に云く行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起る乃至随ふべからず畏るべからず之に随へば人をして悪道に向はしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ等云々」と示され、また『富木入道殿御返事』(定一五二〇頁)には、本有の法性である性善は梵天帝釈等と顕われ、性悪の元品の無明が第六天の魔王と顕れて、悪魔魔障となって法華の行者を悩害すると述べられた。
いわゆる魔は、これ悪縁の感ずるところ、善はこれ心力の致すところで、雪山の童子は半偈に身を投げ、楽法梵志は一偈に皮を剥ぐと、この求道心が、授記品には「無有魔事雖有魔及魔民皆護仏法」と開会せられている。
『最蓮房御返事』に「日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王我身に入らんとするに兼ての用心深ければ身によせつけず。
故に天魔力及ばずして」(定六二一頁)とあり、魔は正善と競ふ故に、魔の大小をもって正善の大小を知るというべく、魔は正善の信仰のための善友であり、かつこれを調御すべきである。
《『遺文辞典』教学篇「魔」の項、『広説仏教語大辞典』『新版仏教学辞典』『岩波仏教辞典』「魔」の項》