開会
開会
かいえ
開会顕発・開顕会融・開顕会帰の義で、法華経の根本思想。
権を開して実に会入すること。
即ち方便権経を開して法華経の真実に会入することをいう。
法華経迹門は三乗を開し一仏乗に会入せしめる開三顕一を説く。
迹門の教説は在世の衆生を教導化益することにあり、仏の智慧の世界(諸法実相)を説いて人間の平等性・尊厳性を示し、一切衆生に成仏の可能性を教示するものである。
即ち九界に仏界が具すという理具論を説いて衆生の理性を開顕したものといえよう。
二乗作仏・悪人成仏・女人成仏などはその実例であり、このような開顕思想を開権顕実・会三帰一とも称する。
法華経本門は迹門の衆生論に対し能化の実事を説く仏陀論である。
本門は釈尊の近成を開して久遠実成を顕発し、三世にわたる衆生救済の世界を説示するもので、これを開近顕遠と称する。
久遠の開顕は仏の絶対性を示すもので能化の化用が永遠に衆生を利益する師弟倶に久遠の世界を明かすものである。
即ち仏界に九界が具すという事具論であり、仏の慈悲が永遠不滅であることを開顕したものといえよう。
迹門が九界の理性を開顕するに対し、本門は仏の本地を明かして師弟倶に久遠の世界を開顕するところから本門を能開、迹門を所開とし、これを開迹顕本・発迹顕本と称する。
天台大師は『法華玄義』巻七において、譬喩蓮華に本迹六重を論じ、迹門の開顕は為実施権(施)・開権顕実(開)・廃権立実(廃)・本門の開顕は従本垂迹(施)・開迹顕本(開)・廃迹立本(廃)と開顕の三義を立てた。
迹門は諸教を一仏乗に帰入せしめ、本門は仏の本地を顕発して諸仏を統一する施開廃の三義である。
更に『法華玄義』巻九には開顕を論じ、迹門は破情に約して破三顕一、教に約して廃三顕一、正しく理に約し傍ら教に約して開三顕一、行に約して会三顕一、仏意に約して住一顕一、権智に約して住三顕一、あるいは理に約しあるいは事に約して住非三非一顕一、権巧多端に約して覆三顕一、法身妙応の眷属に約して住三用一、本誓に約して住一用三と十重顕一を立てる。
妙楽大師湛然はこれを受けて『法華玄義釈籤』巻九に十妙の配当を論じ、境妙(開三顕一)・智妙(破三顕一)・行妙(会三顕一)・位妙(覆三顕一)・三法妙(住一顕一)・感応妙(住三顕一)・神通妙(住非三非一顕一)・説法妙(廃三顕一)・眷属妙(住三用一)・利益妙(住一用三)とする。
更に『玄義』巻九は本門について、破情に約して破迹顕本(本因妙)、教に約して廃迹顕本(本説法妙)、法と理に約して開迹顕本(本果妙)、行に約して会迹顕本(本因妙)、仏意に約して住本顕本(本国土妙)、迹意に約して住迹顕本、絶言冥会に約して住非迹非本顕本(本感応妙)、機応多端に約して覆迹顕本(本神通妙)、師と弟子に約して住迹用本(本眷属妙・本寿命妙)、本地不動・迹法界に周遍するゆえに住本用迹(本涅槃妙・本利益妙)と十重顕本を立て十妙を配当している。
これに対し『玄義釈籤』巻九は開迹顕本を本因妙、住迹顕本を本感応妙、住非迹非本顕本を本神通妙、覆迹顕本を本果妙に配当している(他の六は『法華玄義』に同じ)。
更に『法華玄義』巻二には相待妙・絶待妙を論じ、法華経が諸経に対し跨節の妙法であることを明かしている。
日蓮聖人は天台・妙楽等の釈を承けて妙に「不可思議」「絶」「能治」「開」「廃」「具足」「玄」「薬」「蘇生」「満足」「円満」等の義を論じ、妙法五字に釈尊の因行果徳の二法が具足することを論証している。
聖人の開会の根底にあるのは妙法五字であり、この妙法五字を機軸として一切の教法が開顕会入されるのである。
聖人は『観心本尊抄』に四種三段(五重三段)を説き、その第五本法三段(本門三段・観心三段・法界三段・文底三段)において、十方三世諸仏の経々を序分、寿量品(内証の寿量品、南無妙法蓮華経)を正宗分とされている。
一切の教法は南無妙法蓮華経の五字七字に帰結し、南無妙法蓮華経の五字七字によって一切の教法の位置づけがなされるもので、聖人の独自な絶対開会の教判である。
これは末法に出現すべさ釈尊の本意としての法華経を、聖人の信仰の主体性において五字七字と受領したものである。
釈尊の現在を日蓮聖人の現在として受領した法華経に生きる行者日蓮にとって、このことは法華経流布の必然にほかならなかったのである。
更に開会には相対種・就類種がある。
施開廃の三義や相待妙・絶待妙が教法に対する開会の順序的形式や価値的内容であるに対し、相対種・就類種は対象となるそのものについて開会を論ずる。
相対種は相対するものの開会、就類種は同類のものの開会である。
これは『法華経』薬草喩品の文から天台大師が釈出したもので一切のものを仏種(妙法)として開会するのである。
日蓮聖人は『始聞仏乗義』に「就類種とは釈に云く、およそ心ある者はこれ正因の種なり。
随て一句を聞くはこれ了因の種なり。
低頭挙手はこれ縁因の種なり等云云。
相対種とは煩悩と業と苦の三道その当体を押へて法身と般若と解脱と称するなり」(定一四五二頁)と述べられている。
就類種は諸々の善事をすべて仏の種であると開会し、相対種は、例えば煩悩・業・苦も法身・般若・解脱の種であると開会するのである。
《『遺文辞典』教学篇「開会」の項、『日蓮辞典』「開会」「施開廃」の項、『天台学辞典』『岩波仏教辞典』「開会」の項》