慈悲
慈悲
じひ
いつくしみあわれむこころ。
慈は梵語maitrīの訳で与楽、悲はkaruṇāの訳で抜苦の義。
『大般涅槃経』第一五には「諸の衆生の為に無利益を除く、是れを大慈と名づけ、衆生に無量の利楽を与へんと欲す、是れを大慈と名づく」と説かれている。
仏・菩薩が衆生の苦悩を除き福楽を与える抜苦与楽の徳行をいう。
法華経嘱累品に「如来は大慈悲あって、諸の慳悋(けんりん)なく、亦畏るる所なくして、能く衆生に仏の智慧・自然の智慧を与ふ」と説かれている。
更に法華経には薬草喩品・化城喩品・法師品・提婆達多品・安楽行品・妙荘厳王本事品・勧発品に慈悲・大慈悲の語が見られる。
このほか慈哀・慈意・慈恩・慈心・慈念・慈愍・大慈・大悲等の表現や、「毎自作是念」等の経意を探るならば法華経全体が慈悲の説法といえる。
慈悲は仏徳であると同時に衆生救済の行法でもある。
従地涌出品で涌出し、神力品において如来滅後の弘経を付嘱された地涌の大菩薩は久遠釈尊の慈悲の体現者である。
換言すれば地涌の大菩薩の弘経は釈尊の久遠已来の「未尽」の菩薩行にほかならない。
日蓮聖人はこのような「無量劫の慈悲者」である釈尊の因行を自己に問われたのである。
それが地涌の大菩薩としての自覚にほかならない。
『諫暁八幡抄』には自己の法華経への捨身を「日蓮は去ぬる建長五年四月二十八日より、今弘安三年十二月にいたるまで二十八年が間、又他事なし。
只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計り也。
此即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲也」(定一八四四頁)と述べられている。
末法における法華経如説の行者は久遠釈尊の御本懐をになうゆえに「日本国の一切衆生の慈悲の父母」(定七八八頁)である。
「いわずば慈悲なき」(定五五六頁)、「難を忍び慈悲のすぐれたる事」(定五五九頁)と、法華経弘通の誓言を自己に問う『開目抄』の一連の文は、仏記の真実を証明する仏使としての日蓮聖人の自覚を如実に表明されたものと言えよう。
『観心本尊抄』の「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起し五字の内に此珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめたもう」(定七二〇頁)の説示を、『報恩抄』に「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。
日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。
無間地獄の道をふさぎぬ」(定一二四八頁)と受けられた慈悲の実践に聖人の生涯があったのである。
久遠釈尊の慈悲は、末法今時には一念三千という具体的な救済の原理と形態を教示する。
妙法五字の受持、一念三千の成仏がそれで、この原理と形態を離れて慈悲の受領も慈悲の実践もありえない。
五字の受持の要請が久遠釈尊の慈悲であり、この事を知れる者の弘教は釈尊の慈悲をせおうものである。
『観心本尊抄』説示の「仏の大慈悲」を『報恩抄』に「日蓮が慈悲」と受けられたのはこの意にほかならない。
法華経弘通のなかで諸宗を厳しく批判されるのも、諸宗が釈尊の慈悲の本質に迷い人々を悪道へ導くことへの日蓮聖人の慈悲の警鐘であったといえる。
《『遺文辞典』教学篇「慈悲」の項、『広説仏教語大辞典』『岩波仏教辞典』「慈悲」の項》