兄弟鈔
兄弟鈔
きょうだいしょう
(一七四)一篇。
日蓮聖人著。
文永一二年(一二七五)四月一六日。
「けいていしょう」「きょうていしょう」とも。
日奥・日通・日諦の各目録は建治二年(一二七六)に系年する。
『昭和定本日蓮聖人遺文』所収。
真蹟池上本門寺所蔵(第一-三・一四-六・三三紙以下欠)、重要文化財。
その他の真蹟断片は京都妙伝寺・石川県大鏡寺・山梨県妙法寺等所蔵。
聖人が身延から池上右衛門大夫宗仲と兵衛志宗長の兄弟に与えられた書状。
末尾には「此御文は別してひやうへの志殿へまいらせ候。
又太夫志殿の女房・兵衛志殿の女房によくよく申しきかせさせ給うべし。
きかせさせ給うべし」とあり、内容は池上兄弟とその女房達に与えられたものである。
兄弟の父左衛門大夫康光は作事奉行として千束(せんぞく)(現、東京都大田区)を知行していたようであり、極楽寺良観房忍性(一二一七-一三〇三)の熱心な信者であった。
兄弟は康元元年(一二五六)ころ、鎌倉において四条・荏原氏等と前後して聖人に帰依したが、当然、父の怒りをかうことになった。
康光は兄弟夫妻に回心を迫ったが、共に意に従わなかったので、文永一二年、兄宗仲を勘当した。
この報を受けた聖人が、兄弟夫婦が力を合わせて法華経信仰を貫き、父の信仰をも正しく導くように教示されたのが本書である。
冒頭には法華経は一切経の肝心であることの論証とその謗法罪について述べ、次に法華経の行者には値い難いことを慈恩大師・善無畏三蔵らの謗法を指摘しつつ論述されている。
続いて法華経信仰者の恐るべき悪知識について実例をもって論述し、聖人の弟子檀那の大難に論を進めて「慈父のせめに随いて存外に法華経をすつるよしあるならば、我身地獄に堕つるのみならず、悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちてともにかなしまん事疑ひなかるべし」と、法華経の「大道心」を兄弟に教示されている。
更に兄弟の当面している具体的な問題に筆を進め、自らの経験を折りまぜつつ、伯夷・叔斉の故事をあげて「棄恩入無為」の孝養を訓諭し、兄弟を浄蔵・浄眼、薬王・薬上になぞらえ、弟兵衛志が父に勘当された兄と同心であることを賞賛し、かつ激励されている。
更に隠士の物語をもって訓誡を重ね、法華経の極理(南無妙法蓮華経)を受持することの難を天台大師の一念三千と三障四魔を通して開示し、最後に兄弟のちぎりを「隠士と烈士」、「鳥の二の羽」、「人の両眼」に譬え、加えてその女房達の役割を詳細に論じて「末代悪世の女人の成仏の手本」となるように訓諭し法華経の信仰を貫徹するよう、情愛を込めて激励されている。
本書が兄弟に送られてから後、父康光の勘当は一旦解かれたのであるが、建治三年には、再び親子の対立が深まり、宗仲は再度勘当の身となる。
宗長は信仰に動揺をきたしたが、聖人の教導を受けて兄と同心し、父を諫め、弘安元年(一二七八)には康光を法華経信仰に導いたのである。
この間、文永一二年から四年間に亘って、聖人は池上家の信仰の葛藤を指導教化されたのである。
なお、二度の勘当という池上家父子の争いの時間を追っての推移、勘当と解除の時期認定については、『兄弟鈔』はじめ関係遺文の系年に揺れがあって一定せず、そのため事件の正確な展開が妨げられていたが、近時この問題について岡元錬城の『日蓮聖人遺文研究』第二巻がくわしい。
《『遺文辞典』歴史篇「兄弟鈔」の項、『日蓮辞典』「兄弟鈔」の項》