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諡号

しごう #4797

諡号

しごう

諡号の起源は中にある。
『汲冢周書』巻六(諡法解)に「諡は行の迹にして、号は功の表なり」とあるように「号」は功績のある臣下に対してその生前に賜わる「よびな」であり、「諡」は貴人や功労者に対してその死後に子から贈られる「おくりな」である。
諡は臣下に賜わるのみならず、子に対してもその死後に贈られた。
諡号の制は、周公旦とこれを補佐した太公望呂尚とが協議して創始したと伝えられる。
諡(おくりな)は古制では一字であったが、やがて二字三字のものが現れ、次第に長くなって、宋の神宗皇帝の如きは二二字にも達する。 この点、家の戒名代と共に字数を増すのと似ている。
諡法解に「大行は大名を受け、細行は小名を受く」とあるように、諡はその人の生前の徳行を考えて定めるものであるから、「慈恵にして民を愛するを文と曰ふ」とか「克く禍乱を定むる武と曰ふ」とかいうように名を原則とするが、「前過を悔いざるを戻(れい)と曰ふ」とか「楽(がく)を好んで政を怠るを荒と曰ふ」とかいうような名もあり得る。 (この点が「戒名」には名が無いのと異なる)。
臣下の諡は子から賜わるのが本則であるが、後世は、弟子が師の死後に非公式に贈る私諡(しし)も現れた。
このように諡と号とは本来は別のものであったが、後世は「おくりな」を「諡号」とも称するようになった。
僧に対する諡号の一種に大師号なるものがある。 わがでは清和天皇の貞観八年(八六六)に最澄(八二二寂)に伝教大師、円仁(八六四寂)に慈覚大師の諡号を賜わったのが最初であるが、僧の場合にも天皇の勅許によらない私大師号もある。
日蓮聖人は、大正一一年(一九二二)一〇月一三日大正天皇から立正大師諡号を宣下された。
《『汲冢周書』諡法解、洪邁『容斎続筆』三巻、張英等『淵鑑類函』一八〇巻、神宮司庁『古類苑』宗教部二〇》

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