異体同心
異体同心
いたいどうしん
身体は異なっていても心は同じであるという意味。
異体とは、人ひとりずつ、顔かたちや老若男女の別、性質や生活環境が違うことをいう。
同心とは、異体でありながら、多くの人びとが、目的を同じくして一致協力し合うこと。
同一信仰のもと目標に向って団結することをいう。
日蓮聖人が遺文『異体同心事』で記述した言葉を出典とする日蓮門下の要語。同書に「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なし」とある。つづいて同書は「殷の紂王は七十万騎なれども、同体異心なればいくさにまけぬ。
周の武王は八百人なれども、異体同心なればかちぬ。
一人の心なれども二つの心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。
百人千人なれども、一つ心なれば必ず事を成ず」(定八二九頁)と記されている。
異体同心に対する語として、同体異心(または体同異心)と異体異心がある。
同体異心は、さきの引用文のように、一人の心の中で主体性がなく一つに定まらないこと。
異体異心は、各人の心がばらばらで対立し合うことである。
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」『諸法実相鈔』(定七二六頁)とある同意とは同心と同じ意味である。
日蓮聖人のめざした法華経弘通は、異体同心の信心によってのみ成就するものである。
「総じて日蓮が弟子檀那等、自他彼此の心なく水魚の思いを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云ふ也」『生死一大事血脈鈔』(定五二三頁)と。すなわち「異体同心」とは単に仲間うちの共心協同結束ではなく、何よりも「日蓮と同意」、つまり日蓮聖人の心に同心することである。
《『遺文辞典』歴史篇「異体同心」の項、『日蓮辞典』「異体同心」の項》