妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

浅井要麟

あさいようりん #3964

浅井要麟

あさいようりん

(一八八三-一九四二)
諱は日凰、昌院と号す。大正から昭和初期に活躍した宗学者。立正大学授。
祖書学」を提唱し、遺文の文献学的研究に新生面を開いて、後の遺文研究に多大な影響を及ぼした。
明治一六年名古屋に生れ、山梨県南部町内船寺の村瀬日周のもとで出家身延山小檀林・池上中檀林・日蓮宗大学を卒
その小泉要智(一八七六-一九一一)に私淑して信仰や文学について影響を受け、また要智の宗典護持に対する情熱にえられるものが多々あった。
彼は要智の「日蓮宗全書刊行会」に参加し、要智亡きあと事業を継承して大正六年(一九一七)これを完成した。聖誕七〇〇年(大正一一年)を記念して『日蓮宗宗学全書』刊行が計画されると編纂委員に選出され、宗典の整に尽力した。
このように若くして団の二大全書刊行に携わったことが宗学研究の基礎的力を養い、文献に対する鋭い目を磨いて、後の祖書研究の下地を作ったのである。
大正三年法華会が設立されると『法華』誌の編集者として招かれ、以後『法華』に宗学研究の成果を次々と発表して活躍、特に祖書研究に情熱をささげた。
昭和に入ると、立正大学で祖書を講じながら新しい遺文全集の発刊をめざした。 これが昭和九年(一九三四)に完成した『昭和新修日蓮聖人遺文全集』である。
ところが、ここに有名な遺文不敬削除件が起こった。 内務省から要麟の『遺文全集』の不敬字句削除が命ぜられたのである。 彼はこのような圧力にもかかわらず祖書研究に打ち込み、祖書に文献学的研究の立場から、真偽論を展開し、純正遺文の確立をめざしたのである。 彼は真蹟遺文の系年、用語、思想などを検討し、標準遺文を掲げて他の遺文と比較し、矛盾や対立するものは資料としての価値を考慮していった。
こうして浅井要麟の「祖書学」は体系化されていったのであるが、神聖視されてきた遺文に科学的メスを入れるその斬新な研究方法と、祖書に流れる中古天台口伝法門を一切排除しようとする姿勢は大きな反響と課題を投げかけた。
昭和一七年一二月三〇日寂。 六〇歳。
主著『日蓮聖人学の研究』。

リンク

← 事典トップ