日蓮宗全書
日蓮宗全書
にちれんしゅうぜんしょ
日蓮宗の著名な書物で既に板行されていたものを中心に編集した叢書。
日蓮宗全書出版会によって編集され、明治四三年(一九一〇)より大正五年(一九一六)にかけて東京の須原屋書店から刊行されたが、『録内啓蒙』は全三六巻のうち第二三巻までにとどまっており、完全に完成したすがたには至っていない。
装訂も洋装本と和装本とがあり、内容は同じであるが巻数仕立は前者は二七巻、後者は三〇冊となっている。
本叢書の構成は四部から成り立っている。
その内訳は〔本典部〕〔註疏部〕〔史伝部〕〔論述部〕である。
〔本典部〕とは、日蓮宗立宗の原典である日蓮聖人遺文を収めて、『日蓮上人全集』三巻(和装本は六冊)とする。
その内容は流布本の『祖書録内』(録内御書)四〇巻・『祖書録外』(録外御書)二五巻である。
次に〔註疏部〕は、日蓮聖人遺文の註釈書六篇を収録する。
特に番号等は付していないが、年代順に挙げると、(1)『御書鈔』三巻(和装本三冊)、(2)『御書註』二巻(和装本二冊)、(3)『録内啓蒙』七巻(和装本七冊)、(4)『録内扶老』二巻(和装本二冊)、(5)『録内拾遺』一巻(和装本一冊)、(6)『録外考文附微考』二巻(和装本二冊)である。
(1)『御書鈔』は板本二五巻を活字本三巻に収めたもの。
一般に「健鈔」(ごんじよう)と通称される室町期の註釈書である。
即ち『録内御書』を永正年間(一五〇四-二一)に京都において講談した内容を筆録したものとされている。
大部分は弘経寺(ぐきようじ)の日健(にちごん)(-一五二〇-)が講述しており「健鈔」のよび名もそれに由来しているが、五大部のうち「開目抄」の大部分を立本寺日禘が講じており、また「本尊鈔」を常寂日耀、「撰時鈔」上・「報恩鈔」下を妙顕寺日能がそれぞれ講述している。
なお巻末に「健鈔考」が付されているが、これは『大崎学報』三二号、向井教遠稿の再録である。
(2)は『御書註』一八巻(寛永二一年刊)を上下二巻に収録したもの。
『録内御書』を京都要法寺の円智日性(一五五四-一六一四)が註解したものである。
ただし第一巻・第二巻は日性の弟子・承慧日修が註解している。
なお、上巻の巻頭に両註釈者の伝記が掲載されている。
(3)『録内啓蒙』は不受不施派の安国日講(一六二六-九八)が配流の地・日向佐土原(宮崎県)で『録内御書』を註釈したもの。
全三六巻が木版によって元禄一五年に板行されているが、本全書では二三巻までを洋装本七巻に活版印刷している。
註疏部六冊のうち本書は特に著名な註釈書であるが、本全書においては全巻を活字化することが完成しなかった。
なお巻頭に著者の日講の年譜が付されている。
(4)『録内扶老』上下二巻も『録内御書』を禅智日好(一六五五-一七三四)が註解したもので、底本は木板版本一五冊である。
(5)『録内拾遺』は、(4)『録内扶老』執筆後『録内啓蒙』が出版されたので、禅智日好が『扶老』『啓蒙』に遺漏した箇所を註解したものである。
(6)『録外考文附微考』上下二巻は『祖書録外考文』八巻と『祖書録外微考』三巻をそれぞれの御書ごとに合せたもの。
もともと『録内御書』に対して『録外御書』はやや重視の度合が薄かったためか『録内』についての講述が多いのに対して『録外』講述は少ない。
この巻に収められた『祖書録外考文』は観寿日耀(-一八五三)の註解を明治日蓮宗学の学匠小林日董が刪定したものである。
『祖書録外微考』は『録内拾遺』『録内扶老』の著者・禅智日好の註解で、『録外』についての最初の註解書である。
以上のうち、最も頻繁に用いられるのは何といっても『録内啓蒙』であろうが、ともあれ簡便にこれら『録内』『録外』の註釈書を手にすることができることによって、近代の日蓮宗学は日蓮聖人遺文の註釈と研究において大きな業績を示すこととなったのは誰人も認める事実であろう。
〔史伝部〕(1)『日蓮上人伝記集』一巻(一冊)、(2)『本化別頭仏祖統紀』二巻(二冊)より成る。
(1)『日蓮上人伝記集』は著名な日蓮聖人の伝記を集成したものである。
集成された伝記とは、(イ)『元祖化導記』二巻、(ロ)『日蓮聖人註画讃及抄』五巻、(ハ)『元祖蓮公薩埵略伝』一巻、(ニ)『元祖一代暦』、(ホ)『法華霊場記冠部』一巻、(ヘ)『本化別頭高祖伝』二巻、(ト)『本化高祖年譜』一巻、(チ)『高祖年譜攷異』三巻の八集である。
(イ)『元祖化導記』は身延山久遠寺一一世行学日朝(一四二二-一五〇〇)が文明一〇年(一四七八)に著したもの。
日蓮聖人の伝記を二巻六三項目によって記述する。
日朝は室町中期の学匠として名高く、従って本書の叙述も日蓮聖人遺文の自伝的部分を抽出編集し、それを諸本によって補うという方法をとっており、潤色的部分が少ないが、そのため逆に読物的要素が稀薄であって、一般への流布は高くならなかった。
(ロ)『日蓮聖人註画讃』は啓運日澄(一四四一-一五一〇)述になるもので、五巻三二項目によって日蓮聖人の生涯を絵と漢文の絵詞で書き表した、日蓮聖人伝最初の絵詞伝として広く世に喧伝されたものである。
日澄没後二六年目の天文五年(一五三六)初秋に、画工・窪田統泰によって製作されたいわゆる「本国寺本」以後、筆写本が数点確認されているが、江戸期に入って刊本として少なくとも八点以上が板行された。
本書に収載されたのは享保二一年板(一七三六)に基づいている。
(ハ)『元祖蓮公薩埵略伝』は円智日性(一五五四-一六一四)が永禄九年(一五六六)述作したもの(但し、実は証誠院日修の著)。
(ニ)『元祖一代暦』は安国日講述になるもので、(ハ)の中に包含して印刷されている。
(ホ)『法華霊場記冠部』は貞享二年(一六八五)豊臣義俊が集成したもので「蓮公行状年譜」の部分を抄録している。
(ヘ)『本化別頭高祖伝』は、身延山三二世智寂日省(一六三七-一七二一)が享保五年述作したもので、享保二一年板である。
(ト)『本化高祖年譜』及び(チ)『攷異』は英園日英(一七九三-一八五六)が弘化四年(一八四七)に新刻したものである。
(2)『本化別頭仏祖統紀』は日蓮宗の出家・在家のうち主要な伝記を集録したもので、六牙日潮(一六七四-一七四八)が享保一五年に編纂したものである。
「本化別頭」(ほんげべつづ)とは、本化の法華経に基づく仏教の特別な精髄をいい、その教法を伝燈し継承する系譜というほどの意味が「仏祖統記」である。
「仏祖本紀」(久遠実成大覚皇釈迦牟尼世尊本紀・本化上首上行菩薩摩訶薩本紀・勅謚大菩薩高祖日蓮至尊本紀)「八祖世家」(日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持・日常・日像)「中老十八祖列伝」「当機直授列伝」「朗門九鳳列伝」「身延山歴代列伝」「興栄両山歴代列伝」「勅賜四海唱導師妙顕寺歴代列伝」「勅賜本国寺歴代列伝」「諸山総列伝」「別頭真隠列伝」「比丘尼列伝」「優婆塞列伝」「優婆夷列伝」の題下に叙述する。
なお同書はもと三八巻であるが、ここでは史伝関係の二五巻について伝写本と校合し、第二六巻以下に、ついては「通別一覧志」「扶宗明文志」のうち史実に関係のある二〇篇を巻尾に収め、併せて未刊書であった正善日長(-一八〇九-)の「難得意条条記」を掲載している。
〔論述部〕論述部については、わずかに三書を収録するのみで、(1)『祖書綱要刪略・正議会本』一巻(一冊)、(2)『峨眉集』一巻(二冊)、(3)『草山集』一巻(一冊)がそれである。
三書を選んだ理由は江戸末期日蓮宗学の大成者・優陀那日輝(一八〇〇-五九)がその『祖書綱要正議』の序に、わが宗に三大宝策ありとして上掲三書を示したことに基づくものと思われる。
『祖書綱要』は一妙日導(一七二四-八九)が江戸中期に日蓮聖人遺文に立ち還って教義を組織づけたもので二三巻である。
更に事成日寿(-一八〇五)が同書の重複した論述を刪定し、その要点を編纂したのが『祖書綱要刪略』七巻である。
ここでは『刪略』に対する優陀那日輝の『正議』を合わせている。
(2)『峨眉集』二〇巻は常在日深(一七〇三-四三)が天台教義と比較しつつ、日蓮宗の教義を九八条の論題別に述べた書である。
(3)『草山集』には元政(日政)(一六二三-六八)の詩文集『草山集』三〇巻と『身延行記』三巻を併載している。
〔刊行〕『日蓮宗全書』は、明治四三年(一九一〇)一月から大正五年(一九一六)にかけて、東京須原屋書店内・日蓮宗全書出版会から編集・刊行された。
監修は本多日生・脇田堯淳・田中智学、編集長は小泉要智、編纂校訂は稲田海素・島智良・向井教遠・高田恵忍等、編集事務は浅井要麟がそれぞれ担当している。
本全書の構想がどの範囲に及ぶものであったかは不明であるが、ともかく『録内啓蒙』については巻一-七を刊行して、巻八以降は未完となっている。
その後『日蓮宗宗学全書』全一八巻の刊行が大正一〇年発議され、『日蓮宗全書』が既に板行されていた著名な書物を集録したのに対して、日蓮宗史料編纂会が全国の各派寺院等を渉猟して蒐集した未刊行の史料を刊行することとなる。
《『日蓮宗年表』、望月歓厚『日蓮宗学説史』、執行海秀『日蓮宗教学史』、冠賢一「『日蓮聖人註画讃』解題」(『近世文学資料類聚-仮名草子編』一五)》
(渡辺宝陽)
【補記】
本稿で触れられているように『録内啓蒙』は未完であり、その欠を補い、さらに新加されることが望まれる。
なお、梅本正雄が本全集を祖恩報謝・宗風宜揚・興学振起の素懐のもと全巻復刊の大業を成就され、現今「本満寺版」として活用されている。