伝記
伝記
でんき
日蓮聖人の生涯を綴った一代記のこと。
日蓮聖人が著作ならびに消息(書簡)に書きしるした自叙伝を基底とし、これに伝承を付け加えて集成することによって、日蓮聖人の信仰教説・人格・行動の足跡を明らかにした作品。
日蓮聖人滅後より近世に至るまでは、日蓮宗の僧侶・信者を中心に書き著され、近代になってからは日蓮宗関係の僧侶・信者・学者のほか宗外の学者・文学者・評論家などによって多種多様な体裁で作品化された。
日本の仏教者のうち、日蓮聖人に関する伝記は量的に最も多い。
日蓮聖人伝記の作品群を時代別に区別すると、江戸時代以前、江戸時代、明治期以降に分けることができる。
江戸以前の伝記で現在確認できる作品には次のものがある。
(一)『大聖人一期行状日記』一巻。
身延山久遠寺二世日向著。
日蓮聖人の直弟子日向の手になると伝えるもので一三世紀末一四世紀初期に成立したという点で最も古い伝記である。
(二)『大聖人御伝』一巻。
著者不詳。
現存していない。
日蓮聖人滅後数十年の頃に成立していたことが、中山法華経寺三世日祐(一二九六-一三七四)の蒐集した「本尊聖教録」に書名が載せられていることによって判明している。
(三)『日蓮聖人御弘通次第』、身延山久遠寺三世日進著。
正中二年(一三二五)に成立。
伝記本としての体裁にはまだ至っていないが、日蓮聖人の重要な弘通の事蹟を年譜的に記載している。
(四)『三師御伝土代』、富士大石寺四世日道(一二八一-一三四一)著。
伝記のうち最も早く成立したものの一つである。
一代記の体裁で書かれているが、その記述は簡略で一代記としての内容を表現したものではない。
(五)『元祖化導記』二巻。
身延山久遠寺十一世日朝(一四二一-一五〇〇)著。
本格的な一代記の伝記本として成立した最初の作品。
文明一〇年(一四七八)に執筆。
日朝は日蓮聖人遺文を蒐集書写し日蓮教学、天台教学関係の註釈書などを著作した学究的態度と法華経の広宣流布および日蓮聖人教説の流布をめざす信仰姿勢とに基づいて記述した。
従って、その記述方法は日蓮聖人遺文の自叙伝的箇所を抽出することによって編成し、遺文に記されていない部分は王代記、太平記などの諸本によって補加するという方法をとっている。
遺文中より抽出した部分は「御書に云く」「御消息に云く」と記し、伝承に拠る箇所は「或書に云く」と記述している。
比較的脚色した所は少なく漢文体のために一般への普及度は低かったが、事蹟を実証的に類聚している点で学術的価値は高い。
上下二巻に分かれ、上巻は「第一 御誕生後堀河院御宇ノ事」から「第三十 依智ニ明星下ル之事」に至る三十事項、下巻は「第一 佐渡御流罪ノ事」より「第丗三 聖人御一期ノ間王代年号ノ事」に至る三三事項の目録に従って「元祖聖人御一期ノ次第」を年譜的に述作し日蓮聖人一代の事蹟を明らかにしている。
(六)『日蓮聖人註画讃』五巻。
鎌倉妙法寺日澄(一四四〇-一五一〇)著。
原本は存在しないが天文五年(一五三六)に製作された漢文体・極彩色のものが京都本国寺に現存し、近世初頭以降これを筆写した諸本がある。
日蓮聖人伝記における最初の絵詞伝としての意義を持ち、同時に日蓮聖人の生涯を絵と漢文体の文章で表現した絵巻物としての特色を有する。
また近世を通じ和文・絵入の諸版が次々に刊行され最も大衆的に普及した伝記でもあった。
日澄がこの伝記を書いた目的は、死身弘法の烈将・破権門理の導師・呵責謗法の鋭士・兼知未萠の聖人である日蓮聖人の徳行を讃嘆し、その事蹟を絵詞によって提示・普及する点にあった。
五巻・三二篇からなり、その目録は次のごとくである。
第一巻は、御誕生第一、登山出家第二、学問第三、宗旨建立第四、安国論第五、諸宗夜討第六、伊東左遷第七。
第二巻は、立像釈迦第八、文永慧星第九、慈母蘇活第十、東条疵を被り死難第十一、蒙古状第十二、十一通状第十三。
第三巻は、雨祈勝敗第十四、行敏か状第十五、竜口頸座御難第十六。
第四巻は、依智に赴く第十七、籠中へ遣わす状第十八、佐渡流罪刑第十九、諸宗門答第二十、重連進來第二十一、印性坊第二十二、尼問答第二十三、前司状第二十四、赦免状第二十五。
第五巻は、重ねて頼綱に謁す第二十六、身延山入第二十七、蒙古來第二十八、竜象房第二十九、示寂第三十、遺骨を収取る第三十一、御書目録第三十二。
この構成にみるごとく、日蓮聖人一代の事蹟を簡潔な文体で描き出し、特に超人的で奇蹟的な日蓮聖人の姿を中心に語っている点および先行する伝記的記述を収集した上で読者の興味をひくような脚色的記述を豊富に盛りこんだことなどによって、それ以前の伝記本の系譜からは全くことなる宗教的奇蹟と伝記事実の結合した新しい読者本位の伝記本として成立したもの、と評価されている。
しかし同時に、あくまで日蓮聖人の足跡を遺文を土台に記述している点が骨格となっており、「聖人のたまはく、こよひくびきられるにまかるなり。此年月の間のそみつることこれなり、此娑婆世界にして雉と生し時は鷹につかまれ(略)」など遺文の記述を物語化して表現し、そこから「聖人は上行菩薩の再誕」であるという信仰的行実を明示している。
江戸時代における伝記も、この『日蓮聖人註画讃』諸版の刊行を中核に大衆的普及がなされた。
それまで筆写されてきた『日蓮聖人註画讃』は、慶長六年(一六〇一)に初めて刊行された。
これ以後、ほぼ江戸期を通じて漢文体と和文体の各版が多種多様な体裁で刊行し続けられ、祖師信仰の隆盛をうながした。
とりわけ和文体の『註画讃』は広く庶民層に受容され、「絵入にして児女のみやすからしめん」とする平易通俗な絵詞伝として最も流布し、その書名も『日蓮大士御一代記絵入』『日蓮大菩薩一代記かな付絵入』などと改題され装いをあらたに出版されたり、この書を種本とした亜流の伝記本が刊行されたりした。
このほか江戸期に刊行された伝記本には『元祖蓮公薩埵略伝』(日性著)。『本化別頭高祖伝』(日省著)、『本化高祖年譜』(日諦・日耆著)、『本化別頭仏祖統紀』(日潮著)などの漢文体伝記がある。
これと並行して『日蓮大菩薩記』(加倉井忠珍著)、『本化高祖紀年録』(深見要言著)、『日蓮聖人一代図会』(中村経年著)それに『日蓮大士真実伝』(小川泰堂著)など日蓮宗在家信者の手になる和文・かな付あるいは絵入の平易な伝記本が次々に出版され、『日蓮大士真実伝』の刊行をもって四〇種目を数えるに至っている。
このうち『元祖化導記』『日蓮聖人註画讃』や『本化別頭仏祖統紀』などを底本とし、大胆な脚色を付加した記述によって、いずれも和文・かな付・絵入の伝記本が社会的に流布し庶民のための読本となると共に日蓮聖人一代記の理解と信仰増進に貢献した。
また、これらの伝記本をもとに脚本が書かれ芝居に上演された。
この伝記本の普及は、明治期以降の日蓮聖人に関する伝記・評論・戯曲などの成立にも多大の影響を与え、信者や学者はもとより文学者・キリスト者・思想家等によって評伝・詩伝・小説・戯曲があいついで書かれ、日蓮聖人の生涯をはじめ信仰教説・抱負・人格の各側面にわたって広く発表された。
これらの伝記は、日蓮聖人の事蹟を知る上で欠かすことのできない作品であるのみならず、日蓮聖人像の生き生きとした一生の足跡を理解し再発見する貴重な作品である。
《冠賢一『日蓮聖人註画讃』解題、同「近世における日蓮聖人伝の出版」『日本仏教』二七号、同「幕末の『日蓮伝』について」『所報』三号、梅本正雄編『日蓮上人伝記集』、『本化別頭仏祖統紀』、『遺文辞典』歴史篇「伝記」の項》
(石川教張)
図版