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蒙古

もうこ #4630

蒙古

もうこ

内陸アジア北東の高原の砂漠・草原地帯をさす。
東は興安嶺から西はアルタイ山脈に及び、北はシベリア南部から南は陰山山脈を隔てて中本土に連なる地域である。
ゴビ砂漠によって南北に分けられ、北側を外モンゴリアといってモンゴル人民共和などを含み、南側は内モンゴリアといって中華人民共和の内蒙古自治区などを含んでいる。
古来多くの遊牧が成立した。
九世紀の半ばウイグルが四散したあと一三世紀に入りチンギス・ハーンがモンゴル帝国を建てから、この高原は名実ともにモンゴル民族の国土となり、モンゴル(蒙古)の名がこの地域全体の名となった。
チンギス・ハーンは中央アジアの大遠征を行い、第二代のオゴタイ・ハーン(太宗)は金朝を滅ぼし、ヨーロッパを遠征してロシアをその版図に加え、第四代のムンケ・ハーン(憲宗)の代になると、その領土は東は日本海から西は地中海近くまでに及び、南は准水、インダス河を境とする前の広さを誇った。
しかし帝内部は早くから分裂の傾向があって、キプチャク・チャガタイ・オゴタイ・イルの四ハンと中に基礎をおく元朝に分裂し、約三〇年にわたる抗争を続け、のちに元朝を宗主とする連合体制が確立し、元朝の崩壊(一三六八)まで続いた。
第五代のフビライ・ハーン(元の世祖)は、対高麗政策を媒介とする南宋攻略の一環として日本招諭を試み、衣永五年(一二六八)書を日本にもたらした。
日蓮聖人は『立正安国論』で、経文に準拠し、信仰が乱れれば内乱と外寇が起ることを指摘していたが、蒙古国書の到来を目前にして「日蓮が勘文に相叶うこと、あたかも符契の如し」(定四二三頁)として諸方に意見を開陳した。
蒙古襲昧(元寇)を契機として日蓮聖人宗教は社会化されていったのである。
因みに聖人蒙古のことを多くは「大蒙古国」(「大蒙古」)とよんでおり、それ以外は「蒙古国」(「蒙古」)とよんでいる。
仮名で「もうこ」と書き「むこ」、「むこり」、「むくり」などと書いている。
「小蒙古」といういい方は真蹟遺文にはみえない。
《『遺文辞典』歴史篇「蒙古」の項、神奈川県立金沢文庫編『蒙古襲来と鎌倉仏教』、『日蓮聖人大事典』「日蓮聖人蒙古襲来」の項、『日蓮辞典』「蒙古」「元寇(げんこう)」の項、『岩波仏教辞典』「蒙古」の項》

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