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評論

ひょうろん #4766

評論

ひょうろん

ここでいう評論とは、日蓮聖人一代の信仰・行動・人格について論評した作品をさす。
その傾向には、二つの流れが見られる。 一つは、日蓮聖人伝記を綴ることによって、その信仰者・人間像の特色を明らかにした評論(評伝)、もう一つは、日蓮聖人の行実に関して、その特定の側面を抽出し評価を加えた評論である。
近代においては、この二つの傾向は相互に連関しつつ多様な日蓮観・日蓮論を構築していった。 前者は、小川泰堂『日蓮大士眞実伝』を原点とし、高山樗牛の日蓮鑽仰評伝として成立し、後者は内村鑑三「日蓮上人」(『代表的日本人』所収)に代表される評論として打出された。
明治代の評伝には、幸田露伴『日蓮上人』(「少年文学」第二五編・明治二七年=一八九四)が世を従えた大才大器としての日蓮聖人の不抜の信念をあかした。 他方キリスト者・内村鑑三の「日蓮上人」(『代表的日本人』所収)「日蓮上人を論ず」(『国民の友』所収・いずれも明治二七年)は、日蓮聖人における誠実・勇気・忍耐等主として人格的側面を照射した。 同じく植村正久「日蓮上人」(『日本評論』第六一号)も多血多涙の人としての人間性にふれたが、信仰面では否定的見解を示し「宗教を批評した学者」であったと論断した。 この傾向は木下尚江『日蓮論』(明治四三年)が「奇代の俊傑」でありながら宗教革命を圧迫し滑稽な悲劇を演じた「未製品」と日蓮聖人を論じた。
こうした信仰的立場にたつ評伝と客観的評論を統合しつつ、日蓮聖人鑽仰の評論を確立したのが高山樗牛である。 『日蓮上人とは如何なる人ぞ』(明治三五年四月)を始めとする日蓮研究に基づくいちれんの評論は、一代の伝記として一括して綴られたものではなく『日蓮上人日本国』(同年六月)『日蓮と基督』(同上)等の題に見るように研究項目の集録としてまとめられたという特質を備えていた。 樗牛は、日蓮聖人上行菩薩再誕の予言を証明した法華経の行者であり、真正な愛国者であり崇拝的英雄であると指摘し、日蓮聖人の存在を社会全般に鼓吹した。
評伝は、樗牛の日蓮聖人鑽仰の高まりをうけて明治末期から次々と発表された。 村上浪六『日蓮』(明治四一年)、笹川臨風『日蓮上人』(同四三年)、須藤南翠『日蓮上人』(大正三年=一九一四)、等は、いずれも信仰教義面よりも日蓮聖人の人格や行動に焦点を当て一代記にまとめて発表された。 日蓮聖人の「強い信念」と「情愛の深さ」、多血多涙の姿がこれらの評伝に捉えられている。
この評伝の到達点をしるした作品が、樗牛の盟友であり近代宗教学の先駆者であった姉崎正治(嘲風)の『法華経の行者日蓮』である。 姉崎は、樗牛の日蓮聖人研究を継承しつつ、宗教改革をめざした一人の思想家としての日蓮聖人を明らかにした。 特にその人格、経歴、思想・信仰について、研究と崇敬の結果を提示し仏使=法華経の行者の全生涯を活現した。 それ以降専ら日蓮研究に一生を尽くし『日蓮上人文抄』(昭和五年=一九三〇)のほか「日蓮上人の身延隠棲」「日蓮上人の特色」等の論文を発表した。
また、田中智学による一連の日蓮聖人に関する評伝は大きな足跡をのこし社会的にも強い影響力を与えた。 このうち例えば、『大国聖日蓮上人』(昭和四年)は「日本の柱をもって自ら任じた偉大なる聖者〈国つひじり〉」の真相と真価を描き日本の柱、天下の日蓮から世界の救主になった精神と業の正味を捉え、しかも社会家をすべて法華経的に改造しようとして「活きた法華経」を樹立した聖の存在を体系的に論述した。
昭和期の評論では、岡本かの子刀杖瓦石の難」(『散華抄』感想後篇・昭和三年)が日蓮聖人の法華経観にふれ「聖者の遺訓」から受難を生命浄化の法則として捉えた。 最も代表釣な評論矢内原忠雄「日蓮」(『余の尊敬する人物』所収・昭和一五年)である。 内村鑑三の日蓮論を継承したもので、真理への熱愛をもって偽善者と戦った日蓮聖人の信仰と人格にふれ、真実無私の愛者である姿を明らかにした。 更に法華経の真に対する愛を根底に、剛毅と優しさと真実なる人格が融けあっている面をも示し、強さの一面だけを見がちな論評ではなく、人格と行動のうちに脈打つ精神のほとばしりを深く捉えた評論を書いた。
下においては倉田百三が昭和一二年に「学生と先哲―予言僧日蓮」を書き、日蓮認識の観点は〈予言〉を離れてはありえないと主張し、代の予言者像を提示した。 更に評論家・室伏高信は、同九年に『立正安国論―日蓮の宗教』を著したのに続き同一七年に『国聖日蓮』を執筆、仏教革新に生きぬいた法華経の使徒として日蓮聖人を捉え、国土の真理化をめざし日本を救い、より荘厳なる日本に再建しようとしたと思想を社会とのかかわりで明らかにした。 他方、これとは対照的に昭和一三年一月に発行された高倉輝編『日蓮読本』は、社会科学の立場から日蓮聖人信奉者に国家主義者が多い点に注目して日蓮聖人を取上げ、その国家意識や闘争的で「あくまで反逆的であり熱情的であった」側面を評論した。
戦後、いわゆる法華・日蓮系新興宗教の展開に伴い、日蓮聖人に対する種々な論評や見方が提出されてきたが、真正なる日蓮聖人論は必ずしも体系的に語られてはいない。 『日蓮読本』と同様の観点から松本清張が「日蓮再発見」を書いて社会と歴史のうちに日蓮聖人を位置づけ「権威に対する抵抗の情熱」を捉えている。 亀井勝一郎「折伏と受難」(『中世の生死と宗教観』所収・昭和三八年)は、祖師の思い悩んだ精神の中心課題を「親鸞においては凡夫の自覚と罪の間題、道元においては禅に結びついた戒律の間題、日蓮においては折伏と受難による信のあかし」であると述べ、このうち日蓮聖人については、その狂信独善に見える背後に「法華経の身証とは受難である」点を見出し、そこに「日蓮の信仰の真の秘密」があったと指摘した。 また激烈で端的に見える折伏も、前生からの罪を見つめ、その罪を消滅するための「自分自身への折伏」としてまずなされたと述べ「受難とは一種の滅」と記している。 そして受難の中に愛情こまやかに書かれた書簡に、「日蓮の多面的な面目」が現れ、しかも苦悩を味わいつくしたあとの「易行の相」があることを見出している。 この評論は、深く精神の内奥を捉えた作品として重視されるべきものである。
(石川張)

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