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内村鑑三

うちむらかんぞう #786

内村鑑三

うちむらかんぞう

(一八六一-一九三〇)
明治・大正期のキリストの代表的指導者。 社会評論に活躍した思想
日蓮聖人を代表的日本人の一人として取上げ、偉大なる先覚者であり、最も日本的な宗教として紹介した。
高崎藩士の内村宜之の子として江戸に生まれ、札幌農学校やアーモスト大・ハートフォード神学校(アメリカ)で学んだ。
明治二四年(一八九一)、第一高等中学校師のとき育勅語への敬礼拒否を不敬とされ免職となった(内村鑑三不敬件)。
翌々年、井上哲次郎と「育と宗教の衝突」論争を行い、この頃から信仰と著作活動に入り、『余は如何にして基督徒となりし乎』などを著述した。
日清戦争に対して義戦論を主張したが、のち『万朝報』に足尾銅山鉱毒件の報告を連載し、社会改良を目指す想団を結成、日露戦争には幸徳秋水、堺利彦らと非戦論を唱えた。
聖書研究を中心に、信仰と武士道精神との結合を図り、特定の神学・教派に属さない無教会主義の立場から福音主義の独立伝道を推進した。
明治二七年、三四歳のときに『日本及び日本人』(のちの『代表的日本人』)を著し、英雄的で慈悲深く、誠実で独立した人であった五人の人物を取上げ、その評伝をまとめて海外に紹介した。 五人とは、西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮上人である。
このうち「日蓮上人」については、不退転の勇気と確信をもつ「全世界に於ける彼の如き人物のうちにて最も偉大なる者の一人」として称賛し、仏陀の特別の使者としての戦闘と不死の精神を明らかにした。 また、独立して生きた人および独立伝道の先覚者として敬慕の念を込め、国民のバックボーンたる日蓮聖人の信仰と勇気を学ぶべきであるとも提唱した。
更に同年『日蓮上人を論ず』を『民の友』に発表した。
日蓮聖人の誠実・忍耐などの人格と経典崇拝に基づく宗教的確信にふれながら、純粋なる日本的宗教家であり、平民的宗教へと革新した巨人・英雄であると聖人像を提示した。
昭和五年(一九三〇)、七〇歳で没した。
《『史大辞典』二巻「内村鑑三」の項》

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