笹川臨風
笹川臨風
ささがわりんぷう
(一八七〇-一九四九)
歴史家、文学者、美術評論家。
東京神田末広町の生まれ。
本名種郎。
第二高等中学校から東京帝国大学に進み、国史科を卒業。
同級に姉崎正治、佐々醒雪、高山樗牛らがいた。
在学中、東亜学院に参加して『東亜説林』等の刊行に尽力、醒雪、田岡嶺雲らの俳句団体筑波会を結成した。
卒業後は『帝国文学』や三省堂の『日本百科大辞典』編集に当るかたわら明大等に出講。
文芸革新会の結成を唱え経世的な理想主義を主張した。
明治三四年(一九〇一)宇都宮中学校長時代に樗牛としばしば文通し樗牛の日蓮聖人研究について意見を交流し、その影響を受け随想『佐渡ケ島』を書いた。
明治四三年(一九一〇)に南北朝正閏論争が起こった際は、南朝正統論を提示するなど幅広い分野で活躍、著書に『九郎判官』『淀君』『支那小説戯曲小史』等の著作がある。
同年、『万朝報』誌上に『日蓮上人』を発表、宗教界の革命児である日蓮聖人の事跡を明らかにし日蓮主義を主張した。
この評伝は大正四年(一九一五)一二月に同文館より刊行された。
大正五年(一九一六)には姉崎正治とともに『人文』を発行し、著述業に力を注ぎ、美術評論『東山時代の美術』によって大正一三年(一九二四)に文学博士を授与される。
昭和二四年(一九四九)没。