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小説

しょうせつ #1885

小説

しょうせつ

明治・大正・昭和期において、日蓮聖人信仰・教え・人格および一代の足跡を小説として書き著した作品のことをいう。
明治期では幸田露伴が評伝小説として『日蓮上人』(明治二七年=一八九四)を書いたが、これは『少年文学』に収められ「挫折に会うごとに勇気百倍する強盛の日蓮」を少年向けに著したものであった。 これに対して泉鏡花の『髯題目』(明治三〇年)は、南無妙法蓮華経の七文字と一天四海・皆帰妙法の八文字を入墨した芸人の大夫と娘分の精神的な結びつきを描いた小説で、嗜虐的な美を求めた鏡花の世界に題目が取扱われた特異の作品である。 また、同四三年、笹川臨風は『万朝報』誌上に評伝小説『日蓮上人』を発表「宗教界の革命児」としての日蓮聖人の偉大な人格を描き出した(大正四年=一九一五=博文館より刊行)。
大正期に入ると、評伝小説としての作品は増加した。 まず半井桃水が『朝日新聞』に小説『日蓮』を一三三回(大正五年)にわたって連載、誕生から入滅に至る日蓮聖人の一生を描写した。 中里介山は伝記風の小説『清澄に帰れる日蓮』(大正一一年)を発表、青年僧日蓮(蓮長)が京洛の地に修行し法華経中心の信念を固めて立教開宗の戦端を故郷清澄寺にて開く情景を写し出した。 介山はまた長篇小説大菩薩峠』安房の国の巻・他生の巻の一節で日蓮聖人の足跡にふれ、荒海の漁師の子に生れ、何の地位も名誉も持たず法華経によってのみ自己を飾るだけで、小人雑輩の粉々擾々たる中に身をおいて戦闘した海辺の怒濤の響きのごとき「巨人日蓮」について語っている。 更に藤井真澄が小説『超人日蓮』(大正一二年)を書いた。これは、日本第一の智者をめざす大願を立て、その実現に向って心血を注ぐ青春時代における日蓮聖人の熱情に超人を見ようとしたものであった。 また本山荻舟の『日蓮』(大正一四年)は『報知新聞』に連載されたもので、「大人格者の面影」を初心者向けに執筆した作品として注目されよう。
昭和期に入ると、日蓮聖人に関する小説化が比較的多くなった。 その代表的な作品は、大佛次郎の『日蓮』(昭和五年=一九三〇)である。 「太陽の子」から「池上」まで一三章で構成され、深い人描写と歴史や代への鋭い洞察に基づき、法華経の魂を叫びつづけ、その聖なる火を分け与えようとした日蓮聖人人間像をあざやかに表現し、法華経に献げた精神は肉体的な死を超えてはるかに不滅である点を明らかにした。 この作品は、最も芸術を備えた近代の日蓮聖人についての小説として高く評価されるべきものである。 更に武者小路実篤が『日蓮と千日尼』(『日本の偉れた人々』所収・昭和一六年刊)で、佐渡の信徒阿仏房・千日尼にそそぐ日蓮聖人の純粋でこまやかな情愛を描き、その優しく温かい心と真理に命を献げる信念とを合わせ持つ人日蓮のありようを表現した。 『読売新聞』に連載した三上於菟吉の『日蓮』(昭和一六年刊行)も、やさしくたくましい傑僧であり時代の救済者であった日蓮聖人の人間像を見に浮き彫りにした。 続いて尾崎士郎が『日蓮』(昭和一七年)を発表、「風雲変」から「雲の響き」までの八章にわたって、憂の念を抱いて難打開に励んだ精神力と真摯で厳しい生き方を書き、そこに戦下においての「英雄のまぼろし」を発見しようとした。
昭和二〇年以降にも、いくつかの小説が発表された。 沙羅双樹の『人間日蓮』(昭和二八年)は、救国救世の大悲願に生きた確信の人としての姿を描き、川口松太郎『日蓮』(昭和四二年)は日蓮聖人の正法をひろめる闘いの歴史や人的強さの面と情のあつい人情美を描いた。 戦後の小説作品の中では他に山岡荘八の『日蓮』、土師清二の『日蓮』が戦闘的で激しい面とやさしく思いやりのある人格を描きだし、西川満の『日蓮聖人』は、弟子日昭を通して日蓮聖人の生き方を捉える手法を駆使し、その信仰と人格の内面を活写した。
なお昭和期においては、戦前に発行された日蓮宗の教誌『日蓮主義』に多数の小説が掲載されており、日蓮聖人についてのみならず日蓮宗に縁を結んだ人々が紹介されている。 磯村野風『一勇斎国芳』『太田道灌と本所法恩寺』『身延より池上まで』『開宗前後』『信謗奇縁』『塚原問答』『川奈の里』『妙法院日叡上人』『水戸光圀公徳行記』、山上ゝ泉の『生埋になった鉱夫』『越後乙寺の妖猿』『越中立山の少女』、高橋佳豊の『安土問答』『広布石』『比企大学能本公』『本門寺奥庭の大会見』、江東散史の『建武中興の日像上人』『加藤虎之助』『冠鐺日親上人』、武田乙若(山川智応)の『日像上人』、室住一妙の『肥後阿闍梨日像上人』『興亜の大先駆日持上人』等、枚挙にいとまがない。 これらの小説は、いずれも布教を目的にしたものであるが、評伝や聖史を中心に平易・普及を心がけて書かれた作品としての意味を持っている。
《石川康明(張)『文学作品に表われた日蓮聖人』》

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