山上ゝ泉
山上ゝ泉
やまがみちゅせん
(一八八〇-一九五一) 立正大学の元教授で、日本文学と法華経に関する研究で著名である。
明治一三年長野県の飯田市に生れた。
同三九年に哲学館大学予科を卒業。
大正一四年(一九二五)に立正大学専門部の教授となり、永年にわたって国文学を講義した。
昭和二二年(一九四七)立正大学文学科主任教授となる。
著書も多く『日本文学と法華経』を始めとして、『歴世法華文学物語』『法華外伝』『法華鑽仰者外伝』等があるほか、月刊の『法華』や『日蓮主義』等にも寄稿し、『大崎学報』にも論文を発表している。
代表著作の『日本文学と法華経』は、別名を「法華国文学大観」といい、大正一三年に刊行されている。
その凡例によれば、この書は「予が畢生の一願業として宗門保護の下に当に着手すべき『日蓮聖人御遺文文章法研究』の前提として編纂したるものなり」と記している。
またその末文には「ゝ泉学人山上智海」とある。
従って「ゝ泉」は号であり、「智海」が名である。
しかし、この書の奥付には、「著作者 山上智泉」となっているので、智泉とも称していたことがわかる。
内容は奈良・平安時代から始り、鎌倉・吉野朝・室町の各時代を経て江戸から明治時代に至る間の文学作品に現れた法華経及び日蓮聖人関係のものを集め、紹介に努めている。
また最後に「法華和歌瓊玉集」の一篇を設けて、「御製御歌大観」と「新撰法華百人一首」を紹介している。
『源氏物語』『枕草子』『本朝文粹』『栄華物語』等を始めとして、古典文学の中に現れた法華信仰の部分を抽出している。
日本文学の中に現れた法華信仰に関する作品を一書にまとめ上げた功績は大きい。
更に頭註を設けて、読者の便を図り、著者は本書をもって、宗門の教本・信徒の読本・布教家の講本となるべきことを意図したものであるとも記している。
次に『歴世法華文学物語』を見ると、大正一五年四月付で田中智学が序文を寄せ「山上智海君は日蓮門下の唯一なる文学者なり」と評している。
また「はしがき」には、「本書は宗門外護の下に従事しつつありし『日蓮聖人文章法研究』の副産物の一にして、即ち曩に纂修公刊せる『日本文学と法華経』の内容に系統づけしむべく、編年列伝の両体を経緯とし、汎く法華経対日本文学の交渉、日本文学対日蓮聖人の関係を叙述したるものなれば、委しくは『本朝歴世法華文学史譚』とも名づけて可なるべしと信ず」と述べている通り、先の『日本文学と法華経』とは姉妹篇に当る書といえる。
この「はしがき」の終りには「ゝ泉山上智海」と著名しているが、本書の奥付には「著書 山上ゝ泉」となっている。
本書の内容は一二編から成り、第一編の菅原道真並にその時代の法華文学から始って、選子内親王・後白河法皇・源頼朝・曽我兄弟・藤原為家・後醍醐天皇・足利尊氏・霊元天皇と続いて、それぞれ法華文学とのかかわりを紹介し、更に徳川時代における女流の法華文学に至り、写経史上より眺めた法華経巻に及び、最後に戯曲に現れた日蓮聖人と名優の扮した日蓮聖人を紹介している。
この他にも創作や説話・評論等を『日蓮主義』(月刊)、『身延教報』(月刊)に掲載している。
例えば「行基菩薩と法華讃歌」や「久世の誦経少女」「彼岸の今昔」「京の法華気質」等を始めとして、数多くの文章が見られる。
また『珠迺舎詩集』の中には「龍王女」(雅劇)の脚本も見ることができる。
その他『法華』(月刊)には「波題目」、『宗報』には「宗定鑽仰歌」等の一文が載せられている。
論文としては『大崎学報』に「国文学に及ぼせる提婆達多品の影響」(第八六号)「日蓮聖人和歌考」(前掲書九七号)等をあげることができる。
国文学と法華経、及び日蓮聖人との関連を一途に研究しつつ、自らもいくつかの文学作品を世に遺していった点で、宗門内では貴重な存在であったといえる。
昭和二六年三月九日逝去。
同月一〇日、日暮里本行寺で葬儀。