中里介山
中里介山
なかざとかいざん
(一八八五-一九四四)
小説家。
はじめキリスト教から社会主義思想の感化をうけ、やがて仏教思想に関心をむけた。
『都新聞』に『高野の義人』『室の遊女』『文覚』を連載、大正二年(一九一三)より死に至るまで長篇小説『大菩薩峠』を書き続けた。
その他、雑誌『隣人之友』を刊行し「大乗教壇」等を組織、隣人より村落へ、村落より都市へ、都市より国家へ、国家より人類へ、人類より万有へ、万有より本尊へいたる菩薩道の実践に努めた。
自ら『大菩薩峠』は六道四聖の一切を乗せて此岸より彼岸へ渡す誓願から書いた大乗文学と称し、娑婆即寂光の福音を説いた。また『大菩薩峠』は「日蓮の口吻を借りて云へば日本第一の長篇であり、人間第一の大作」とも述べ、「日蓮の『墓を立てん』と云った身延山の存する甲斐の国にあって、日蓮遊跡と称せらるる処から、或は名の起りも其の辺から出たのでは無かろうか」と記している。
心情としては法然・親鸞にあこがれていたが、多摩川辺の水車小屋に生れた自分の出自と海人の子に誕生した日蓮聖人の出自とが似ているところからやみがたき因縁を感じ、東国的・野性的・独往的な日蓮聖人の人格に共鳴した。
大正一〇年に『清澄に帰れる日蓮』(大正一一年春秋社により刊行)を書き青年蓮長が修学に励み、ついに末世に立教開宣する過程を伝記小説風に描写した。
また『大菩薩峠』の他生の巻・安房国の巻においても日蓮聖人に作中人物がふれていく姿を書いて「救世愛人の心をもつ民衆の味方」としての日蓮聖人の片影を綴った。
特に「日蓮を説明するには、やはり日蓮自身をして説明せしむるより善きはなからう」という姿勢から日蓮遺文をひもとき、そこから一世を敵にして戦い挑んだ剛烈な精神と衆生救済にはげむ「救世愛人の心を抑へんとして抑ふる能はざる男性的の涙」を凝視し、菩薩道を実践する「巨人日蓮」の心奥の一端を提示した。
《『国史大辞典』一〇巻「中里介山」の項》