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清澄

きよすみ #3999

清澄

きよすみ

福元年(一二三三)一二歳になった薬王丸(日蓮聖人の幼名)が学問修業のために入山した千葉県安房清澄寺の通称。
一六歳のおり道善房のもとで出家し是聖房蓮長と名のった聖人は、延暦寺を中心とする京師遊学を終えて帰山後の建長五年(一二五三)四月二八日、旭森で題目を唱えて立教開宗を宣した。
よって清澄は聖人の出家得度・立教開宗の霊地として信仰を集めている。
しかし遠隔の地であるばかりか最近(昭和二七年=一九五二)まで真言宗に属していた清澄には、日蓮門徒の参詣もなく、身延・池上などの霊跡に見られるような、信仰物語や紀行文学を生む余地は少なかった。
古典ではわずかに日蓮聖人に擬せられる謡曲『鵜飼』のワキ(旅の僧)が「安房の清澄より出でたる僧」と名のるようなところに日蓮文学と清澄との関わりを求められるにすぎず、当地を舞台とした作品は見られない。
近代に入ると明治期の日蓮主義高唱の風潮の中で清澄における立教開宗の意義が見なおされ、田中智学新体詩『あさひの森』、清水龍山の漢詩『題宗祖大士清澄開宗図』などが作られた。
大正一一年(一九二二)春秋社から刊行された中里介山の『清澄に帰れる日蓮』は、著者が「今『清澄に帰れる日蓮』を校し了って、わが東夷出身の先輩蓮長さまの霊に申上げます。
どうぞ私共を一切衆生の為に泣ける人にして下さいまし」と言っているように、同じ東国出身者としての親愛感を持ちながら、清澄での立教開宗の朝の感激を基軸にすえて記した作品である。
浪曲『清澄の黎明』(東家浦太郎口演)は木村学司作『日蓮大聖人浪曲伝記』(全六巻・一二話)の中の一話で「げに法華経は釈尊の 真心なるぞ諸仏の眼目 これよりほかに仏教なし 雄弁溜々とその声は 旭の森にこだまして やがて巷に流れゆく 津々浦々に流れゆく」と結ばれ、やはり旭森の立教開宗の感動が盛上げられている。

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