道善房
道善房
どうぜんぼう
(-一二七六)
安房国(千葉県)清澄寺の住僧。
日蓮聖人の出家当時の師。
聖人一七歳の時には、道書房の住む坊舎で『授決円多羅義集唐決』を書写するなど(定二八七五頁)、道善房の傍にあって勉学にいそしんだ。
建長五年(一二五三)四月二八日、聖人の清澄寺における立教開宗の折には、地頭東条景信、寺内の円智房、実城房の圧力に屈し、また聖人に危害が及ぶのを考慮して清澄寺から退出させた。
その後、文永元年(一二六四)一一月、故郷の東条花房蓮華寺で聖人と再会した折、道善房は聖人に「我れ智慧なければ請用の望もなし、年老いていらへ(綵)なければ念仏の名僧をも立てず、世間に弘まる事なれば唯南無阿弥陀仏と申す計り也。又、我が心より起らざれども事の縁有て、阿弥陀仏を五体まで作り奉る。是れ又過去の宿習なるべし」(定四七四頁)といわれたが、聖人はそれに対して「又二度見参の事難かるべし」と、「阿弥陀仏を五体作り給へるは五度無間地獄に堕ち給ふべし」(定四七四頁)と思い切って強言した。
しかし臆病にして心弱き念仏者の師道善房は、聖人の主張を理解しながらも、ついに改宗できず、生涯清澄寺に住しつつ建治二年(一二七六)三月一六日に没した。
道善房の訃報を聞いた聖人は、旧師への報恩供養のため、その三カ月後の七月二一日に『報恩抄』を述作して、清澄の浄顕房・義浄房に送り、それを亡師の墓前に捧げた。
本書は最後に「されば花は根にかへり、真味は土にとどまる。此の功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし」(定一二四九頁)と結んで、聖人の一切の功徳を捧げた。
《『遺文辞典』歴史篇「道善房」の項、『日蓮辞典』「道善房」の項、『昭和新修』別巻「道善房」「浄顕房・義浄房」の項、『日蓮聖人大事典』「日蓮聖人の門弟」の項、『日蓮聖人大事典』「日蓮聖人と道善房」の項》