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高山樗牛

たかやまちょぎゅう #5281

高山樗牛

たかやまちょぎゅう

(一八七一-一九〇二)
文学者、文明評論でありロマンチシズムを主張した思想
三二歳の一生を閉じる晩年に日蓮聖人への鑽仰と崇拝の念を鼓吹し研究に没頭して日蓮聖人研究のすぐれた成果を発表した。
出身地は今の山形県鶴岡市(当は羽前荘内、鶴岡)。
父は斉藤親信、母は芳子。
やがて伯父高山久平の養子となり、高山林次郎と名のった。
七歳で法華宗本鏡寺学校に通学したが、養父の転任にともない山形、酒田を経て福島で小・中学校を卒業、一六歳のに上京して東京英語学校に入学した。
一八歳にて仙台の第二高等中学校に入学し文学活動を開始し、二一歳のに文学会を組織して『文学会雑誌』を創刊、『文学及人生』『人生遂に奈何』『厭世論』などの文芸評論を執筆した。
また『山形日報』に『淮亭郎(ウエルテル)の悲哀』の翻訳を掲載して真美を求め人生の想をめざす文学について論評した。
この頃、「樗牛」の号をもちいるようになった。
明治二三年(一八九〇)二三歳にて東京帝大学に入学、翌年『読売新聞』の懸賞歴史小説・脚本の募集に応募し、その作品『滝口入道』が歴史小説の二等に入選(一等は該当作品がなかった)して一躍新進作として文壇に登場した。
この後、親友の姉崎正治とともに『帝文学』を発刊して新学問、新知識に対する向上的精神を鼓吹した。さらに厭世論を反省する立場から同誌上に近松門左衛門研究を載せ「自然感情」と想追求の尊さを主張した。
明治二八年には創刊されたばかりの雑誌『太陽』(博文館刊)の文学欄記者になり、本格的な文芸・文明批評として論陣をはった。
宗教的文学』を書き、森鴎外坪内逍遙と論争し、主観的で道徳至上の抽象想主義を叫んだ。
いちじ仙台第二高等中学校の壇に立ったが、明治三〇年に博文館の大橋乙羽との約束で再び『太陽』文学欄の専属記者となり、この年から三年間「日本主義」と称する家至上主義に基づく民道徳の実践を主張し続けた。

しかし、明治三四年、病気のために美学研究を目的とするヨーロッパ留学を断念したを契として、一転、個人主義を高唱した。
この年には東大で「日本美術の特質に就て」などを義したが、病状は回復せず憂愁の日々を送り、「大いなる信仰」を望んだ。
この精神的経を経たのち、人の本能を肯定する自然感情の尊重に回帰し、やがてニーチェの反俗と本能満足主義を賛美し、才論をかかげた。
とくに同年『太陽』に掲載した『美的生活を論ず』は、人生の至楽は慾の満足にあたり幸福は人本然の要求であると述べたもので人間本能=慾の強調は多大の物議をかもした。
淳風美俗に反する非倫的な考えとする非難がまきおこる一方、与謝野鉄幹のように「快論」とほめる人もいた。
樗牛自らは「己に忠なれ」との信条をあざむかないことを喜ぶと語った。
また、家至上主義から個人主義へ一変した前後の矛盾を批判されたのに対しては、「所詮は矛盾の人身を受けて、此の末法の世の人となりぬ。
大覚世尊だに四十余年未顕真実と宣らせ給ひて法華爾前の経典をば一妄語に附し給いぬるものを、いかに況むや浅く果乏しき吾等如きに於てをや」と姉崎正治に書き送った。
これは、日蓮聖人の口吻を借りながら自分の自然感情をみつめ、「煩悶から新たなる光明」をめざす気持を表現するものであった。
この点から、樗牛の日蓮聖人鑽仰が生まれ『釈迦』や『冠鐺日親』を書いて信仰の力を求めていくことになった。

樗牛と日蓮聖人との出会いは、明治二七、八年(二五-六歳)の頃に始まる。
姉崎正治と旅行した折、国柱会の機関誌『妙宗』(第二編第六号)の巻頭に掲げられた『教行証御書』の一節を見て、雄壮豪快な日蓮聖人の文章に好奇心を動かしたという。
それからしばらくのは特別に日蓮聖人のみを鑽仰するにいたってはいないものの、世と戦って福音を伝えたのは「親鸞よりも日蓮」と記している。
また腐敗せる宗教家や仏教界を批判した時には「第二の親鸞何処に在る、第二の日蓮何処にある」と語りもした。
「日蓮は二流され、三び死に瀕して、尚ほ其の教を続けたり」とも述べて活きた信仰を示した日蓮聖人を称した。
とりわけ、「昔者日蓮のを唱ふるや、曰く、吾は是れ釈尊の行者也と、如何に偉大なる宣言なることよ」と明治三三年に書いたことは日蓮聖人の文章に関する感動から鑽仰にむかう第一歩をしるすものであった。

樗牛が自覚的に日蓮聖人鑽仰の念を抱き、日蓮聖人に関する組織的研究にとりくみはじめたのは、明治三四年秋からである。
九月下旬、田中智学の著わした『宗門之維新』を読んで感激、日蓮聖人の文章を研究しようとした往を思いおこし、さらに一念発起して「偉人の組織的研究」を開始した。
これ以後、鎌倉の長谷に居を移し、田中智学としばしば会ってその指導をうけながら、智学より借りた小川泰堂の編著『高祖遺文録』や『日蓮大士真実伝』を読みふけり、「偉人の生涯」を仰いだ。
それは、病気による憂悩を転じて想をめざし、日蓮聖人に対する追懐によって人生の力を獲得していこうとする意味を持っていた。

樗牛の日蓮聖人鑽仰は、第一に日蓮聖人との意気投合にもとずいている。
これは何よりも日蓮聖人の遺文『開目抄』『種種御振舞御書』『教行証御書』をはじめ消息文を読んで深く感動し、その血涙の跡と獅子吼の音響を不滅にとどめる一大文字を歎したことによる。
上人の文は文に非ずして精神也」といい遺文を通して日蓮聖人の心の中に参入した。また日蓮聖人の信仰義や一代の抱負は法華経なくしてはありえなかったと解し、法華経の読誦も行なっている。
こうした日蓮聖人の事蹟と文章の研究成果を、明治三四年一二月に初めて『況後録』と題して発表した。
第二に日蓮聖人の人格と蹟について熱烈な崇拝を鼓吹した点である。
樗牛は、日蓮聖人鎌倉代第一等の人物であるのみならず日本歴史上における比類なき大英雄であると述べ、日本第一の偉人・豪傑であり、「崇拝的英雄に遭遇せしの感あり」と語った。
とりわけ、妙経色読の行者が此土即寂光の大理想のために天下を敵として戦った風姿、法華経の真理を弘めて世を救おうとした宗教改革の大願と勇猛心、人情に厚く恩誼に深く愛情あふれた性格などを讃美し、帰依の心をささげた。
これらの内容は、『予の好める人物』『鎌倉代の人傑』『無題録』などにしるされている。
姉崎正治が「樗牛の日蓮景仰は完全なる意気の投合なり」と述べたごとく、生きぬく至上の力と信仰的命を日蓮聖人より与えられて意気投合したところに鑽仰の念を鼓吹した根本由があった。

第三に、ひろく日蓮聖人の精神を知らしめるために「日蓮論」をまとめて、その研究内容を発表、「法華経の行者としての日蓮」「上行菩薩としての日蓮」「法華経の預言を体現した日蓮」像を提示した点はきわめて大きな績であった。
明治三五年、樗牛は病床に臥しながら日蓮論に関する研究項目を略記して田中智学の見解を仰ぎ、この研究プランを同年三月に整理し『日蓮聖人』と題する一〇項目に集約した。
その項目は次の通り。
(1)法華経弘通の付属 (2)上行菩薩出現の預言 (3)法華経の行者としての日蓮 (4)上行菩薩の自覚 日蓮信仰上の大飛躍 (5)日蓮と預言 (6)日蓮と日本国 (7)(8)蒙古来襲に対する日蓮の態 日蓮伝中の大疑問 (9)基督と日蓮 (10)結論。
このうち、(1)-(5)は同年四月に書いた『日蓮上人とは如何なる人ぞ』において明らかにし、(6)-(8)は『日蓮上人日本国』(同年六月)で論述している。
また(9)は『日蓮と基督』(同年六月)でふれている。
樗牛は、この日蓮論の骨格にもとずき次々と精力的に執筆活動を展開しつつ、日蓮聖人への鑽仰を高く鼓吹し、真実の風姿を追求した。
それは「生を力めむ、糧を蓄えむ」と励む日蓮聖人追懐の精神のあらわれであった。
その活ける信仰を提示することは、日蓮聖人から生きる力を与えられ、崇拝的英雄の信念・抱負・人格・蹟のすべてを広く日本人全体の指標にしていく彼自身の抱負にほかならなかった。
「祖師上人の原始的精神を復活せよ」と樗牛は主張したが、それは上行菩薩として法華経の預言を証明した日蓮聖人のすべてを明らかにしていく日蓮聖人研究の呼びかけになった。
「今の世の凡俗に厭きたるものは、願はくは是の篇を読め。日本は如何に堕落するとも、吾人は、其の同胞に日蓮上人を有することを忘るる勿れ。彼れの追懐は力也、信念也。諸君、若し学究先生の所説を聞くの余暇あらば、吾人と共に是の一大偉人を研究せざるべからず」(『日蓮上人とは如何なる人ぞ』)。
更に明治三五年八月に書いた『日蓮研究会を起すの議』では、「予は全の教育家並びに学生諸君に向ひて、茲に日蓮研究会を起すの議を提出す」と語り、次のように呼びかけた。
「兎にも角にも、諸君は日蓮研究会を起さざるべからず。蟻の為めに十年を費したる学者あるにあらずや。日蓮を研究するは、日本歴史の宝庫を握る也。諸君の生の栄光を覚る也。祖先を通じて諸君自らの名誉を増す也。何よりも貴きは是の偉人によりて、吾人の末だ知らざる人生の大意義の覚悟に到達すること也」
樗牛による日蓮聖人鑽仰と研究内容は、近代日本における日蓮聖人論の先駆的績をしるすものであった。
それは、彼の遺志をついだ姉崎正治の『法華経の行者日蓮』などの研究成果に発展されていく。
しかし何よりも重視すべきことは、樗牛が人生の意義を明らかにし日本歴史の宝庫を握り、「追懐を力」とするために、熱情をこめ血涙の心をささげつつ日蓮聖人の偉大さを呼びかけ、日蓮聖人歌をうたいあげたことである。
この「鑽仰の獅子吼」こそ、樗牛の命であり、彼れの日蓮聖人研究の本領であった。
明治三五年、三二歳で死去。所は静岡県清水区の龍華寺にある。
《『高山樗牛全集』、『高山樗牛と日蓮上人』、『樗牛兄弟』、秋山正香『高山樗牛―その生涯と思想』、石川康明(教張)『日蓮と近代文学者たち』、『国史大辞典』九巻「高山樗牛」の項、『近現代の法華運動と在家団』『現代世界と日蓮』(春秋社『シリーズ日蓮』四・五)
(石川張)

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