高祖遺文録
高祖遺文録
こうそいぶんろく
幕末の在家信者である小川泰堂(一八一四-一八七八)が編集した編年体遺文集。
明治一三年(一八八〇)刊行の木板本は三〇巻。
同一八年の活字本は二〇巻。
尾張の智英日明は編年体遺文の編集に努め、寺務を廃して諸国に日蓮聖人の真蹟を探り、かつ諸本を校合し、三八〇〇紙、五〇巻の『新撰祖書』の編集を文化一一年(一八一四)一一月に終えたが、校訂を十分果しえず、未刊のまま没した。
小川泰堂はこの遺稿をもとに、真蹟、録内・録外御書、他受用御書、三宝寺・本満寺録外御書、在家の所蔵本等と校訂、更に録内・録外御書中、重複する三六書を除去、遺漏する四七書を追加(真筆を含む)、非遺文二六書を除き、また分離遺文を一書とし、二書をもって一書となっているものを独立させるなどして、合計三八七書を編年体に三〇巻に分ち刊行した。
遺文の末尾には「例えば『下方佗方旧住菩薩事』の「泰堂云、此一書ハ奥師ノ新目録ニ初テ其名ヲ標出スルトイヘトモ、本文未タ世ニ顕レス、今其真蹟ヲ摸シテ玆ニ入録ス」、また『道妙禅門御書』の「泰堂云、世版鎌倉比企谷尊栄坊ノ正筆ヲ写ス、御真蹟国字也ト記セリ、今彼山ヲ捜索スルニ古来ヨリ尊栄坊ノ名ナク又此真蹟ナシ、追考スヘシ」等、諸本と校合した結果の書誌的問題点を各遺文の末尾に付記している。
『高祖遺文録』は現行する日蓮聖人研究の基本遺文集である『昭和定本』の底本であった『縮刷遺文』の依拠本、つまり底本であったから、近代以降の遺文刊行史上に特筆すべき位置に立つもので、小川泰堂の業績は不滅の偉功である。
《小松邦彰・花野充道『日蓮の思想とその展開』(春秋社『シリーズ日蓮』二)》