御書見聞
御書見聞
ごしょけんもん
室町時代の代表的教学者、行学院日朝(一四二二―一五〇〇)が、日蓮聖人の遺文に註釈を加えたもので、四四巻が現存している。
『朝師見聞』、『朝師御書見聞』あるいは『朝紗』とも呼ばれる。
もと日朝の御書見聞は何巻本であるか不明であるが、現存の板本および身延文庫、立正大学図書館等に所蔵されている自筆本ならびに写本を総合すると、御遺文二六部註釈四四巻を数えることができる。
『朝師見聞』の最初の刊行は延宝八年(一六八〇)八月で、『安国論見聞』四巻、『開目鈔見聞』四巻、『本尊抄見聞』五巻、『撰時抄見聞』二巻、『報恩抄見聞』二巻の祖書五大部一七巻である。
近年に至っては、日蓮宗宗学全書刊行会が散逸した見聞類を蒐集し古写本等を調整して、大正一一年・一二年・一三年に「朝師御書見聞集」と名づけて三冊刊行した。
しかし『日蓮宗宗学全書』に収録の御書は四四巻ではなく、『十二因縁鈔私』、『一代五時系図見聞』、『八大地獄鈔私見聞』、『三世諸仏総勘文抄大事下』の四巻を除く四〇巻である。
『日蓮宗宗学全書』に収録の書名を以下順次に列挙してみると次のようになる。
『安国論私抄』五巻、『開目抄私見聞』四巻、『撰時抄私見聞』二巻、『報恩抄私見聞』二巻、『観心本尊抄私記』五巻、『観心本尊鈔見聞』三巻、『身延山御書見聞』一巻、(以下はすべて一巻)『曽谷入道賜御消息見聞』、『如説修行鈔見聞』、『法華題目鈔見聞』、『秀句十勝鈔見聞』、『彼岸鈔見聞』、『本尊問答鈔私見聞』、『今此三界合文』、『神国王鈔私見聞』、『唱法華題目鈔事』、『顕謗法鈔私見聞上』、『顕謗法鈔私見聞下』、『月水鈔私見聞』、『題目弥陀名号勝劣事』、『諫暁八幡事私見聞』、『略八幡鈔事』、『十法界明因果鈔』、『一代大意鈔見聞』、『三世諸仏総勘文事』以上都合四〇巻である。
さて日蓮聖人滅後の遺文の註釈書として著名なものは、弘経寺日健等の『御書鈔』二五巻、円智日性の『御書註』一三巻、安国日講の『録内啓蒙』三六巻、禅智日好の『録内扶老』一五巻、『録内拾遺』八巻等を挙げることが出来る。
その中でも日朝の『御書見聞』は、遺文註釈史の上から見て嚆矢となるものである。
『録内啓蒙』、『録内扶老』では、『朝鈔』としてしばしば引用しているのである。
本書の著述年時は、その大半が文明八年(一四七八)から文明一三年の六年間にわたる。
即ち日朝の五五歳から六〇歳に至るまでにその注釈がなされ、寛正二年(一四六一)に身延の貫主職について一五年頃から始められたものと考えられる。
なお数篇はこの期間でないものがある。
まず第一、『日蓮宗宗学全書』未収録の『一代五時図見聞』は、その奥書によると「寛正四年正月十三日」とあって、日朝が身延入山の翌年のものである。
第二に『観心本尊鈔私記』五巻は著作年時は明らかでなく、身延文庫所蔵の正本には、表紙の外題に日朝筆で「補施集観心事」とあり、他筆で「観心本尊抄私記五帖之内」と題されている。
このことから本書は、日朝が晩年に法華経あるいは天台三大部等に注釈を加え、師親を始め一切衆生への廻向、報恩のために擬した『補施集』の一部のものと考えられる。
第三に『一代聖教大意抄見聞』は、巻初に文明一六年五月一日の日付があり、奥書に「此一代大意抄見聞朝師御代之日恒師筆跡也」とある。
この文明一六年頃、日朝は静養のために相州波多野郷の草庵に住していたと考えられ、弟子覚林房日恒は随行していたようである。
そこで本書は日朝の講義を日恒が筆録したものと推測される。
以上これらの三書は著述年時に多少のずれがあるが、文明八年正月に『観心本尊鈔見聞』の執筆が始まり、『身延山御書見聞』、『曽谷入道賜御消息見聞』等順次に著述され、文明一三年一〇月の『十法界明因果鈔』が一応の終りとなっている。
『御書見聞』の述作場所は、文明八年の『観心本尊鈔見聞』等は身延山久遠寺大坊であったが、文明九年には身延の片阿沢(かたくまざわ)に行学院の設立がなされ、以後、日朝はこの行学院においてはとんどの述作をなしている。
行学院の創立年代については『身延山史』では明らかにしておらず、文明一〇年頃より日朝は行学院に寵居したことを記し、室住一妙著『行学院日朝上人』では、行学院の竣工を文明一〇年の八・九月頃と論じている。
しかし『弘経要文』第二巻には、文明九年六月二一日の日付と行学院の名が見えており、同年一二月に『曽谷抄見聞』がこの行学院で著述されていることから、文明九年の六月頃には既に行学院は完成していたと見なければならない。
さて『御書見聞』の著述の態度は、初めに各遺文の述作由来、著述年代などを記し、あるいは題号を解釈し、次に文句を抽出して解釈を試みているが、それは広く内典、外典を引用して、原典、あるいは出典を明記している。
その中に日朝自身の自説を記すこともある。
極言すれば日蓮聖人の遺文に顕れた思想・教学の探求と解釈にはあまり力点は置かれず、現代の学的表現を藉りるならば『御書見聞』は文献学的、実証的であるといえる。
つまり遺文に記されている経典・論疏・書名、人名・地名あるいは事蹟等について原典を引用することを中心としているのである。
次に『御書見聞』述作の意趣であるが、それらの奥書には、広宣流布、真俗の二世にわたる所願満足を祈願し、師匠父母、故弟子、檀那等の追善、および法界群生利益の廻向が記されている。
つまり日朝のこれらの書を著す「書写力」によって、報恩になぞらえようとしたと考えられる。
更に文明一〇年一〇月には、日蓮聖人の伝記である『元祖化導記』二巻が脱稿しており、これは明らかに宗祖聖人への報恩事業と思われ、また『御書見聞』が文明一三年一〇月に一応の終止が見られることは、同じ意趣があったと推察される。
何故なら、文明一三年は、聖人御入滅の正当二〇〇遠忌であったからである。
つまり『御書見聞』は六年をかけて、宗祖報恩のために著述され、その功徳を一切衆生へ廻向されたものと解釈できるのである。
《小松邦彰・花野充道『日蓮の思想とその展開』(春秋社『シリーズ日蓮』二)》
(北川前肇)