御書註
御書註
ごしょちゅう
日蓮聖人遺文の註釈書。
慶長一四年(一六〇九)一二月、京都の要法寺一五世円智院日性の著作。
従って別名を『円智註』ともいわれ、一八巻から成る。
日性は天文二三年(一五五四)に京都で生れ、字を世雄、本地院と号した。
要法寺の一三世広蔵院日辰とは叔姪の縁にあったといわれている。
また身延山の日重・日乾・日遠の三師らとも交りが深く、天正一一年(一五八三)には三一歳で、東山建仁寺の経蔵に入り、一切経を三年間にわたって閲覧したという。
要法寺の一五世を嗣ぎ、名声が拳がるに及んで、後陽成天皇の招きにより、仙洞御所で外典を講じた。
博学宏才を賞せられ「円智」の称を賜わったので、これ以後は円智日性という。
著書には『御書拾遺和語記』二巻、『御書難字抄』二巻、『興門奥義』六巻、『五重玄義抄』六巻、『唐法華伝』一〇巻、『太平記抄』八巻等があるが、この『御書註』は最も代表的なものとされている。
全一八巻の全部が日性の著作というわけではない。
この点については弘経寺日健の『御書鈔』と同様であるが、大部分は日性の著作であるため『円智註』の名で呼ばれる。
即ち第一巻には「科註立正安国論」とあって、その下に「洛陽小比丘承慧述」と記さる。
承慧という人は京都本隆寺の慶隆院日諦の門下である証誠院日修のことであるといわれている。
第二巻も同様に立正安国論の科註であって、第三巻の開目鈔からが、「埜釈円智述」となっている。
故に厳密にいえば、本書は、承慧と円智の両師の述作といえる。
四巻と五巻は開目鈔。
六・七の二巻は撰時鈔。
八・九の両巻が報恩鈔、一〇巻は観心本尊抄、法華取要抄、本尊間答抄。
一一巻は守護国家論、一二巻は法華題目抄、唱法華題目抄。
一三巻は顕謗法抄。
一四巻は一代大意抄、頭立正意抄。
一五巻は妙法尼抄、佐渡御勘気抄、阿仏房消息抄、乙女抄(乙御前御消息)、三世諸仏總勘文抄、始聞仏乗義抄。
一六巻は法蓮抄、兄弟抄、十法界明因果抄、祈祷抄。
一七巻は四信五品鈔、四条金吾書(四条金吾許御文)、真言諸宗違目抄、佐渡御文、転重軽受抄、諸経与法華経難易事、忘持経事。
一八巻は怨嫉大陣既破等事(四条金吾殿御返事)、有智弘正法事、身延山抄、單衣抄、中興入道消息、月水抄、三三蔵祈雨事。
以上の諸御書にわたり、随文解釈を行っている。
なお九巻の末文には「写本云 慶長十四己酉年十二月二十八日 洛陽要法精舎住持日性撰 年臘五十六才」とあるので、その撰述の年時が分かる。
また一八巻の末尾には「寛永廿一年甲申暦三月吉辰 於洛陽寂光寺本行院栞行焉」となっているので、刊行の日時を知ることができる。
この『円智註』は、先に出た永正三年(一五〇六)の『御書鈔』と共に、京都方面における祖書の二大註釈書として、永く後世の祖書研鑽に資するところ大なるものがあった。
従来の祖書に対する註釈書は「一人一抄」の註釈書が多く、このようにまとまって祖書の註釈を試みたものは、数少ないのであり、足利末期における代表的註釈書といえる。
《『御書註』(『日全』)、執行海秀『日蓮宗教学史』二六八頁、上田本昌「日蓮聖人遺文註釈書の動向」『中世法華仏教の展開』、『日蓮辞典』「御書註」の項、小松邦彰・花野充道『日蓮の思想とその展開』(春秋社『シリーズ日蓮』二)、高森大乗『昭和定本日蓮聖人遺文諸本対照総覧』山喜房仏書林》