四信五品
四信五品
ししんごほん
本門流通分の法華経分別功徳品後半に説かれている法華経修行者の四階級の信行状態と、五種の部類のこと。
分別功徳品第一七の前半は、仏寿の久遠を明かされた寿量品をうけて、その如来の寿命の長遠なることを聞いた菩薩や衆生が得るところの功徳を一二段階に分別して説く本門正宗分である。
「爾の時に仏、弥勒菩薩摩訶薩に告げたまはく」からが本門の流通分となり、以下、常不軽菩薩品までは法華経を弘める功徳の広大なることを説いて流通を勧めている。
本品ではその功徳を説くに当って、現在の四信(仏の在世の行者が寿量品の仏寿長遠を聞いて得るところの四つの信の位階)と、滅後の五品(仏滅後の行者が仏寿長遠の教説を見聞して信行する五つの次第)とに分けて説いている。
「現在の四信」とは、
(1)一念信解(いちねんしんげ)、法華経寿量品の教えを聞いて一念(わずかな心)でも信心の心を起す位。
経文には「其れ衆生あって、仏の寿命の長遠是の如くなるを聞いて、乃至能く一念の信解を生ぜば、所得の功徳限量あることなけん」と述べられている。
(2)略解言趣(りやくげごんしゆ)、説かれた経意をほぼ理解する位。
「若し仏の寿命長遠なるを聞いて、其の言趣を解するあらん。
是の人の所得の功徳限量あることなし」。
(3)広為他説(こういたせつ)、自ら深く領解しすすんで広く他人のために法を説き教示する位。
「何に況んや、広く是の経を聞き若しは人をしても聞かしめ、若しは自らも持ち若しは人をしても持たしめ」。
(4)深信観成(じんしんかんじよう)、深い信心に達し真理を観じて体得する位。
「若し善男子善女人、我が寿命長遠なるを説くを聞いて深信に信解せば、即ち為れ仏常に耆闍崛山に在って、大菩薩・諸の声聞衆の囲繞せると共に説法するを見る」。
「滅後の五品」とは、
(1)随喜品、滅後に法華経寿量品を聞いて喜びの心を起す位。
「又復如来の滅後に、若し是の経を聞いて毀訾せずして随喜の心を起さん。
当に知るべし、已に深信解の相となずく」。
(2)読誦品、さらに法華経を読誦し受持しその経意を理解する位。
「何に況んや、之を読誦し受持せん者をや」。
(3)説法品、さらに法華経を自ら受持しその領解を他人のために説法する位。
「如来の滅後に、若し受持し読誦し、他人の為に説き、若しは自らも書き若しは人をしても書かしめ」。
(4)兼行六度品、法華経信行に兼ねて六度(六波羅蜜-布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を実践する位。
「況んや復人あって能く是の経を持ち、兼ねて布施・持戒・忍辱・精進・一心・智慧を行ぜんをや。
其の徳最勝にして無量無辺ならん」。
(5)正行六度品、如来滅後正しく六波羅蜜行を実践し自行化他を行う位。
「復能く清浄に戒を持ち、柔和の者と共に同止し、忍辱にして瞋なく志念堅固にして、常に坐禅を貴び諸の深定を得、精進勇猛にして諸の善法を摂し、利根智慧にして善く問難を答えん」。
この四信と五品は仏の在世と滅後の相違からくる信行の異りから分別されたもので、四信は説法の会座にある者のその聞法受得に際して生じる四段階の信行の浅深であり、五品は仏滅後、残された経典を通して、その教説を如何に受け実践するかで起こった五種の段階である。
ただし両者法華経の行者の位階であることには変りなく、内面的な信解を中心として浅深を分かったのが四信で、外面的な行法を中心として次第を立てたものが五品と見られる。
妙楽大師湛然も『法華文句記』第九に「四と五と別なし、但だ是れ滅後、読誦の位を加えて二品とするのみ」と説いている。
要するに両者は名を異にするが内容を同じくするものである。
「現在の四信、滅後の五品」と定めたのは天台大師智顗であるが、日蓮聖人もこれを継承して、「其の中の分別功徳品の四信と五品とは、法華を修行するの大要、在世滅後の亀鏡なり」(『四信五品鈔』定一二九五頁)と重要視し、自らの教学の中で行者の用心として展開している。
ただし、天台大師と日蓮聖人とでは解釈に大きな相違がある。
天台は五品の観行を重んじて滅後の正行としているが、日蓮聖人は四信の中の初信(一念信解)と五品の中の初品(初随喜)をもって他を止め、「其の中に現在の四信の初の一念信解と、滅後の五品の第一の初随喜と、此の二処は一同に百界千如一念三千の宝篋、十方三世の諸仏の出門なり」(同)。と信心為正の末法の妙行を立てる。
そしてこの「一念信解」と「初随喜」の位を定めるに、天台宗では六即(天台が法華の教旨に基づいて立てた法華経修行の位)のうち、あるいは相似即、あるいは観行即、あるいは名字即と異説があるが、日蓮聖人は「予が意に云く、三釈の中、名字即は経文に叶ふか」(同)と無解有信の初心の位と定め、「一念信解」の解を解了と釈する天台に対し、解了は次の「略解言趣」にいうもので、「一念信解」の正意は無解の一念信にあるとするのである。
即ち凡夫の一念の「初信」、最初の随喜の心を、末法の法華経修行者の肝要として絶対視し、この「信」に成仏の依処をおく。
末法においては三学のうち戒・定を慧に摂め、六波羅蜜では布施・持戒・忍辱・精進・禅定を制止して智慧を許し、その慧さえも堪え得ないとして「以信代慧-信を以て慧に代へ」と厳誡し、その一念信をもって一向に南無妙法蓮華経の唱題に励めというのである。
一念信解・初随喜の位に但信口唱信心為本の宗旨を建立したのが日蓮聖人の宗教であった。
《『日蓮聖人御遺文講義』八巻、『遺文辞典』教学篇「四信」「五品」の項、『日蓮辞典』「四信五品」の項、『天台学辞典』「五品位」「六度」の項》