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三学

さんがく #153

三学

さんがく

仏道を修行する者にとって、戒学・定学(じようがく)・慧学の三学は必ず修めなくてはならない最も基本的な三つの修行の部類であるとされる。
とは、をとどめを修すること。
定とは、身心を静かに集中して雑念を払い、精神統一をすること。
慧とは、その静慮(じようりよ)によって正しく真実の相(すがた)を見究めること。
学とは、それらを身をもって会得することである。
教一般においては、三学は不即不離であるから、同時に兼修することによって仏道修行の完成をもたらすとされる。

三学の超克〕日蓮教学において三学が問題となるのは、三学それぞれをどのように修するのかという視点からではなく、本門法華経の教えが通途(つうず)の三学を超克していることを明らかにすることにある。
ち日蓮聖人は『四信五品鈔』において、近来、仏教を学ぶ者は、すべて釈尊在世の時代であろうと釈尊入滅後の時代であろうと、法華経を修行するには必ず戒・定・慧の三学を具さなければならないとするのが常識であるとする。 しかし、末代の幼稚の衆生は慧の一分(いちぶん)を修すべきであって、と定との二法は制止されると述べる。 なぜなら、末法において法華経を修行するには、その流通分を明鏡(めいきよう)として用いなければならぬのであり、特にそのことは本門流通分分別功徳品第一七に示される四信と五品とに集約されるからである。
四信・五品の示は、結局、信の一字に詮顕されるのであり、そのことはとりもなおさず、・定の二法を制止してひたすら慧の一分を修することに集約されることを示し、慧を修することも末代衆生には堪えられぬのであって、信をもって慧に代える(以信代慧)のでなければならないことが結示されるのである(定一二九五-六頁)。
聖人は戒については「像法千年の後は末法万年。 持もなし、破もなし。 無戒者のみ国に充満せん」(『南条兵衛七郎殿御書』定三二二頁)と述べ、定については「山林にまじわって一念三千の観をこらすとも(略)時機をしらず、摂折の二門を弁へずば、いかでか生死を離るべき」(『開目抄』定六〇七頁)と述べられているが、これは前述したような通途の戒・定の否定を如実に示すものであろう(ただし、これらは本門法華経の教えに止揚されるのであって、人倫や宗教的境地をいたずらに否定するものではないことを付言しておく)。 そこに本門法華経の世界があるのである。

三学分修〕日蓮聖人の信心為本の宗旨は門下に脈々と伝えられて来たが、時代とともに信心内観への参入が再び問題化されて来る。
江戸中期に出た草山元政(一六二三-六八)は、宗教は道徳を超越した存在であるが、同時に人倫を否定するものではないのであり、法華経の理戒は事戒(具体性を帯びた戒の指示)を否定するものではないと言い、法華経信仰者の日常生活に法華経の理念を実現することこそが行であると考えた。
こうした考え方は一人の日蓮聖人門下としての切実な課題を基盤とするものであったが、当然、原則論に立つ批判があったであろう。 元政はそれに対して「吾れ高祖師を師とすると雖も、その心を師としてその行蹟を師とせず」と述べ、それぞれの宗教的器量に応じて三学を修して行くところに法華経の如説修行の意義を見出した。 これを三学分修論という。
元政の門下はその法華律伝統したが、弟子の宣翁日可(竹庵)は、儒()は有、道()は空、釈()は中を説くというように一応は位置づけられるが、釈中(釈の中)のなかに・有を包摂すると述べている。 またと律と禅とは相互に密接不可分であって、どの一つを欠いてもならないと述べている。 これを三学合論とよぶ。
また、元政を追慕した本妙日臨(一七九三-一八二三)は、信は絶対の行ではないとし、信行を建立するについて、智と相対して論ずるところを信心正行・智慧助行といい、それは末法の通機(一般的機根)に約して顕わしているところであって、三学を外(ほか)にして信を語っても、それは具足の信とはなし難いと述べている(『本妙日臨律師全集』一九九頁)。 このように日臨は、真実の信は三学具足の信であるとし、総戒受持のほかに別戒受持の必要を認めている。 つまり、妙法受持のほかに三学六度の助行分修を説き、を伴わない理偏重を否定するのである。
《渡辺宝陽『日蓮宗信行論の研究』、執行海秀日蓮宗教学史』、『遺文辞典』教学篇「三学」の項、『日蓮辞典』『天台学辞典』『岩波仏教辞典』「三学」の項

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