無戒
無戒
むかい
戒が無いこと。
末法思想の影響で、釈尊の滅後一〇〇〇年・一五〇〇年あるいは二〇〇〇年を経過すると正法の絶滅する末法が到来し、教法のみ残って行・証の無い時代になる。
伝最澄作の『末法燈明記』には、末法無戒を標榜(『伝全』一巻四一七頁)して末法の僧の有り様を説いているが、この著述によって鎌倉新仏教の祖師達はそれぞれに安心の世界を開拓した。
日蓮聖人も自ら「無戒の比丘、邪見の者なり」(定一一六五、一八五四頁等)といいながらも法華経の教えが「末法為正」(定七一九、八一四頁)であることを強調し、無戒の「末代幼稚」(定七二〇頁)の凡夫であっても法華経を信じ、題目を唱え行ずることが末法思想の超克であり、法華経の安心でもあると説く。
《『遺文辞典』教学篇「無戒」の項》