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末法燈明記

まっぽうとうみょうき #3327

末法燈明記

まっぽうとうみょうき

一巻。
題下に「本朝沙門最澄撰」とあるが、仁忠『叡山大師伝』に記名なく、『修禅院目録』は「右外」に録し、『伝教大師撰集録』『龍堂録』もまた疑偽部に属せしむ。
既に法然が『逆修説法』『十二問答』等に、栄西が『興禅護国論』に、親鸞に至っては『教行信証』に殆ど全文を、日蓮聖人も『守護国家論』等に引くから、鎌倉時代一般は本書を最澄撰としていたろうが、後述のように本書は最澄撰ではない。
著作年代不明なれど法然以前の成立である。
『日蔵』天台宗顕教章疏二、『真宗全書』五八巻、『伝全』一巻。
本書自科して四段、(一)に、(二)に正像末の階降を詳かにし、(三)に破持僧の行を定め、(四)にを挙げて比例す。
一にには愚僧等は網厳科に縛られて安閑としておれないが、元来仏法三時興廃につれて盛衰があり、機根に利鈍があるから、一途に取締ることは無法であると、暗に桓武皇の僧尼取締の不当を批判する。
第二に正像末の階降とは、窺基『金剛般若論会釈』所引の『賢劫経』によって「正法五百年、像法一千年」説を取り、『大術経』・『涅槃経』北本一八・『仁王経』によって千五百年以後は仏法が竜宮に隠没すると示し、『大集経』月蔵分九により五箇五百歳を出して、初三には戒定慧があるが、後二は末法にして正法滅尽のであると示す。
次に現三時配当を示すに二説。
周書異記』の仏滅年代説によると今延暦二〇年は仏滅後千七百五十歳、『魯氏春秋』の説によると仏滅後千四百十歳であるが、後説に従って「今時は是れ像法最末の時」であり、その「行事は既に末法に同ず」と。
日蓮聖人が『報恩抄』に「仏滅後二千二百二十五年」(定一二四八頁)、『妙法比丘尼御返事』に「仏御入滅ありては既に二千二百二十七年なり」(定一五五三頁、一五六七頁)とされたのは本書の中の『周書異記』説に依られたものである。
第三に破持僧の行を定むとは、末法は教のみあって行証なく、法もなし。
法あれば破もあるが、法がないから破もない。
「設ひ末法の中に持の者有るも既に是れ怪異なり、市に虎有るが如し」。
末法には唯だ「無戒」「名字の比丘」のみあり、それを「世の真宝」となす外に道なしと。
この末法戒名字の表明は鎌倉全般に多大の影響を及ぼした。
次に三問答あり、一に末法は無戒を真宝とする経文証拠について、二に破戒を厳禁する『涅槃経』等の文と『大集経』月蔵分の無戒名字真宝説との矛盾の会通について、三に如来の破制許はによるとなす経文証拠。
第四にを挙げて比例すとは、経文を引いて現状と対比する意味で「檀越既に檀越の志なし、誰か僧に僧の行なきを誹るを得んや」と僧風の頽落を救い、官に使われる僧統の存在を破仏法破国の因縁と訴える。
本書で否定された律は小乗戒だけなのか、大乗をも含むのか不明瞭。
また持に代るべき何等の徳目も示さず、いたずらに無戒名字を末法の真宝として礼讃する、その退嬰的な姿勢は一二年の籠山制を敷いて国宝の養成を願い、晩年を法華経の故に罵詈悪口されて一歩も退かなかった伝教大師の姿勢と大差があり、到底伝教大師の親作とは考えられない。
《『遺文辞典』歴史篇「末法燈明記」の項》

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