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祖書綱要

そしょこうよう #4309

祖書綱要

そしょこうよう

二三巻。
一妙院日導(一七二四-八九)、明五年(一七八五)著。
近世日蓮宗学の組織者、日導の代表的な著書。
六四章よりなる。
日導は享保九年熊本に生れ、一〇歳のとき本妙寺の塔頭、東光院日禅に師
その後、京都鷹ケ峰檀林等にて修学。
寛延二年(一七四九)二六歳のとき、同学の四人と「同盟起請文」をつくり、宗風宣揚の誓いを立てるのである。
さて『祖書綱要』二三巻は安永九年(一七八〇)正月に稿が起され、前後およそ五年にわたって、日導は蘊蓄を傾け、明五年(一七八五)春に脱稿。
その撰述の縁由は、対外的には浄土宗及び浄土真宗との権実論争、対内的には了義日達(一六七七-一七四七)の『本迹雪謗』によって投ぜられた本迹論の論争があり、更に根本的な問題として当時の檀林教学が台学偏重にあったことが考えられる。
つまり本化宗学の復興が本書執筆の根本的な動であったといえる。
その著述は『観心本尊抄』を骨子として、体系化された教観二門にわたるものである。
本書の構成は宗学全般にわたるもので、そのおもな綱目を列挙すれば、学者鑽仰次第、妙法五字の元旨、法華経の経旨、佐前佐後破顕の進退と法門異相、宗祖化道の始終、相承論、顕本論、本仏論、成仏論、位階論、本迹論、付嘱論、本尊論、題目論、戒壇論等である。
なお現代において聖人教学を佐前・佐後とに分けて異相を論ずることが一般化しているが、この端緒となったものは、本書の「佐前・佐後法門異相章」である。
日導は本書を著した翌明六年本妙寺の第二〇世に晋山し、寛政元年(一七八九)七月一二日に遷化している。
生前中、日導は自ら『祖書綱要』二三巻の刪訂を企画したが、遂に果さず弟子に遺嘱した。
それを受けて弟子一乗院日述は本書の刪訂および出版を企画した。
しかし巻数も多く、またその引文が煩雑であるために修刪も進まず、加えて多忙であるために遂に断念せざるを得なくなった。
日述は浪華妙徳寺妙用日運(一七五五-一八三三)にこのを依頼した。
日運はこれを承諾したのであったが、手指の病を患い、この業を中途で止めることになった。更に日運は越後角田山妙光寺三五世、事成院日寿(一七四一-八〇五)にこのを委した。
日寿は寛政一〇年六月に刪略のを起し、四年を経て寛政一三年(一八〇一)二月二六日、六一歳にて完成した。
これが『祖書綱要刪略』七巻である。
近世日蓮宗教学の代表者、優陀那院日輝(一八〇〇-五九)はこの『祖書綱要刪略』に註釈を加え、宗学を論じたものが『祖書綱要正議』二巻である。
日輝はその「」の中で、日蓮宗における三つの宝の書物として(三大宝策)、草山元政の『草山集』、常在日深の『峨眉集』、日導の『祖書綱要』とを挙げ、中でも『祖書綱要』は宗義を論究したもので、宝策中の最宝策として高く評価している。
なお『正議』のには、日蓮聖人五五〇遠忌(保二年)の八月一日の日付けがあり、日輝三二歳に当る。
《小松邦彰・花野充道『日蓮の思想とその展開』(春秋社『シリーズ日蓮』二)》

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