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佐前・佐後

さぜん・さご #593

佐前・佐後

さぜん・さご

日蓮聖人の一代を両分して佐渡配流以前と以後とに分け、両者の間に聖人の思想信仰の表現上に差違があることを弁えるときの成語。
佐渡前後の法門異相を初めて指摘した人は江戸中期の一妙日導(一七二四-八九)で、その著『祖書綱要』の「第七佐渡已前未顕真実章」、「第八佐前未破両家真言宗章」、「第九佐渡前後法門異相章」、「第十佐前未顕練実二意章」の四章がそれである。
本書の起草は安永九年(一七八〇)正月。 その前年二月には建立日諦の『祖書目次』が成り、ここに初めて録内・録外にわたる遺文の編年目次が完成したので、日導は直ちにその成果を学面に応用し、熟考の末に成ったのが右の四章である。
その概要は「第七佐渡已前未顕真実章」では、前後不同とは外用の不同であって題目は始終上行所伝の法体であって、相違なし。 外用につけば佐前は附順天台にして未だ内証の実意を顕さず、佐後は実意を顕す。 密教三密を倒して本門の三秘を顕すのがそれであるとして、次下に台密の一行・円仁円珍の教学の大意を述べ、空海の邪義も台密の興隆に便乗して流行したのであるから、聖人の破意は偏えに台密にあったと論じる。
「第八佐前未破両真言章」では、佐前に台東両密を破斥しなかった理由は、一に法門の巧拙、謗法の隠顕。 当の万人の憑みとするところは偏えに念仏にあり。 故に念仏謗法の顕然たる存在である。 また念仏・禅の二宗は一機一会のための方等経に拠る、これは法門狭小にして拙き者也。 故に先に破し給う。 ところが密教は本門寿量文底の大事を盗用して自宗を建立したから、法門は高巧にして、謗法の面も隠れている。 故に後に破し給う。 二には仏法の邪正は公庁にて決せんが為め。 問註所での真言師との公場対決の折に実意を示そうと期しておられたが、竜口・佐渡の法難により、幕府には召合せの意志なしと知り、佐渡にて実意を(『本尊抄』を)門下に送り、また除々に真言宗を破斥し始められた。 然し真言宗を亡国の基とは言われず、佐渡赦免になり、四月八日平左衛門尉頼綱と鎌倉にて対面の時、初めて「殊に真言宗が此土の大なるわざはひにて候なり」(定一〇五三頁)といわれた。 以後真言批判は激しくなって行った。 因みに『唱法華題目鈔』『機時鈔』『法華真言勝劣』『与道隆書』等、佐前の御書にも真言批判はあるにはあるが、それは「或は台家の義勢に寄せ、或は門人の得意の為に、少しく真言を破し玉ふ」にすぎず、大判すれば佐前未破両真言であるとしている。
「第九佐渡前後法門異相章」では、佐前佐後には以上のように所破に浅深前後あり、故に所立にも隠顕容与あり。 その根底をなすものは自覚差である。 佐前は「沙門」「根本大師門人」と称しておられたが、佐後は本地上行を表出された。 ここから法門の表現にも差が出て、佐前には但信無解は悪趣は免れるが、出離は難しとされ、佐後は受持成仏を示された。 自覚差の著しい一例を挙げれば、文永八年一〇月二二日の『寺泊御書』は佐前の終の書であるが、そこには「日蓮は八十万億那由他の諸の菩薩の代官と為て之を申す。 彼の諸の菩薩の加被を請る者也」(定五一五頁)とて、勧持品で三類強敵の偈を説いて滅後末法弘通を釈尊に申出た八十万億那由他の菩薩の代官たる自意識のもとに佐渡に渡られたとしている。 一ヵ月後の佐渡より第一書、『富木入道殿御返』には、「天台伝教は粗釈し給へども之を弘め残せる一大の秘法を此に初て之を弘む。 日蓮豈其の人に非ずや(略)神力品に云く於仏滅度後能持是経故諸皆歓喜現無量神力等云云。 如来一切所有之法云云(略)経に云く有四導師一名上行云云」(定五一六-七頁)とて本地上行を密示しておられる。
次に直接遺文について佐渡前後の差相を示す。

(一)『戒体即身成仏義』、仁治三年(一二四二)二一歳作。
小乗戒体・権大乗戒体・法華開会戒体・真言宗戒体の四章よりなる。
真言宗戒体については不説であるが、第四に列ねることにより法華劣真言勝を示したことは本書の開宗前の著作としての分限を物語っている。 特に法華開会戒体を論ずる中の「法華経の悟と申は、此国土と我等が身と釈迦如来の御舎利と一と知也」(定一四頁)の文を取上げて、これは本門常住一体三法妙旨の萌芽であるが、佐後の『灌頂鈔』の「釈尊と法華経と我等との三は全体不思議の一法にして全く三差別なき也」(定八〇一-二頁)の文と比較すると、未だ未完成であるという。

(二)に『一代大意』、正嘉二年(一二五八)三七歳作、佐後に望めると四異あり、
(1)法華の説意―「此経は相伝に有らざれば知り難し」「総じては十界衆生の為也」(定六六頁)とて明確な解答を保留し、いまだ一往在世・再往末法の為めといわず。
(2)得道の有無―法華経のみならず爾前経にも二乗・女人・悪人・菩薩等の得道を説く故、爾前得道もあるかと問い「秘蔵の故に顕露に書せず」(定七一頁)と答えるのみ、『十法界鈔』の下にて委しく弁ずべしと。
(3)天台大師の内証―『本尊抄』能観段では、初め『摩訶止観』巻五の「介爾有心即具三千」を引き、次第に理具三千から事具三千へと展開し、終りに『弘決』巻五の「当知身土一念三千」の文を以て結びとするが、本書はこの両書の両文を並べ挙げて、妙法五字に一念三千を具する証拠の一に供している(定七一-二頁)。
(4)未破法然法然は所破の雑行・難行道の外に法華経を置いたとして(定七四-五頁)、法然批判が未だ徹底していないという。

(三)『守護家論』、正元元年(一二五九)作、一篇を七章に分けて専ら法然の『選択集』を破す。 佐後と比べて三異あり、
(1)真言経を正法として「法華涅槃大日経等は了義経也」(定九七頁)、「選択集は法華真言等の正法を定めて雑行・難行と云ひ(略)法華真言の正法の法水忽ちに竭き」(定一二六-七頁)等という。
(2)「未だ(浄)土宗の三祖(曇鸞・道綽・善導)を破さず、況んや恵心院源信・慈覚・智証をや」。
(3)唱題の功徳の明し方が未だ微薄にして、「但だ法華経の題目計りを唱へて三悪道を離るべきことを明さば」(定一二七頁)という。

(四)『唱法華題目鈔』文応元年(一二六〇)五月作、佐後と六異あり、
(1)但信無解の唱題の功徳は―「世間の軽重の罪に引かれて悪趣に堕するということなく、遂には十方仏前に生ず」(定一八四頁)というから、順次生往生成仏(例えば念仏)にも未だ及ばない。
(2)本尊―「本尊は法華経八巻・一巻一品・或は題目を書て本尊と定むべし」(定二〇二頁)とて法華経八巻の広、一巻一品の略、題目の要を併列する故、題目は未だ必定の本尊に非ず、これは台家法華三昧の法華一部を本尊とするに順じたものである。 『本尊問答鈔』の「法華経の題目を以て本尊とすべし」(定一五七三頁)との差顕然なり。
(3)脇士―「又たへたらんは十方の諸普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし」(定二〇二頁)とて迹化の普賢・文殊等を脇士とし、いまだ本化四菩薩を脇士とせず。
(4)修行―「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず、其志あらん人は必ず習学して之を観ずべし」(同頁)とは、唱題は観念に堪えない愚者のため止むを得ざる修行であるとするかに見える。 『報恩抄』の「有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱べし」(定一二四八)等の文意と地雲泥なり。
(5)法体―能開所開に約して題目の法体を明し、能説の教主に十方仏を収め、能開の題目に一切経を総るとして題目の功徳を示される(定二〇三頁)、『一代大意』(定七三頁)、『月水御書』(定二八八頁)、『十章鈔』(定四九一-二頁)、『題目鈔』(定三九六-七頁)等、佐前は能開所開に約することが多く、『本尊抄』の四種三段(ししゆさんだん)の如く、久遠証得の本法に約すことなし。
(6)解を用う―「諸諸経の題目は法華経の所開也、妙法は能開也、としりて法華経の題目を唱べし」(定二〇三頁)という、佐後の『四信五品鈔』の「以信代慧」(定一二九五頁)と較べて其の差懸隔なり。

(五)『立正安国論』文応元年(一二六〇)七月献上、「此書や高祖一化の基本、我輩成仏の誠証なり」、つまり聖人の宗教は一に立正安国に発したものであるから高祖一化の基本であり、二難の予言の的中は聖人の唱題成仏の勧めの言葉の真実性を物語ることになるから我輩成仏の誠証である。 かくて本書に関しては附文と元意との二方面から解説する。
元意とは聖人一期の思想信仰を通して本論を見る立場で、破邪の面では本論に破真言あり、『本尊問答鈔』に「此事(真言亡国のこと)日蓮独り勘へ知れる故に、仏法のため王法のため諸経の要文を集て一巻の書を造る。 仍て故最明寺入道殿に奉る。 立正安国論と名けき。 其書にくはしく申たれども愚人は知り難し」(定一五八二頁)と。 また本門三大秘法の建立を立正とす。
次に附文とは文上に表れた思想を求める立場であって、破邪の面では独り法然の『選択集』だけを破し、立正の面では法華真言を共に正法とする口吻が諸処に見られるが、これは附順台の故である。 文永五・六年の頃とすると、禅宗批判も加えられる。 『安国論御勘由来』(定四二三頁)、『安国論副状』(定四二一頁)、『法門可申鈔』(定四五三頁)、『大師講御書(金吾殿御返)』(定四五八頁)等の如し。

(六)『法華題目鈔』、文永三年(一二六六)撰、佐後と四異あり、
(1)題下の撰号―「根本大師門人」とあるから、慈覚智証以降の雑乱の天台宗を去って伝教大師の古風を慕う意が見えるが、まだ附順台である。
(2)鈔首に題目の七字を安置するのは、法然の『選択集』が初めに弥陀の名号を置くに対して、天台宗の行体を示すにあり、従って、「翻邪の題目」であって、久遠証得の本法としての題目ではない。 『法門可申鈔』に「伝教大師は二百五十戒をすて給、時にあたりて法華円頓の戒にまぎれしゆへなり、当世は諸宗の行多けれども、時にあたりて念仏をもてなして法華経を謗ずるゆえに、金石迷ひやすければ唱候はず」(定四四七-八頁)とあるのも同趣である。
(3)以偏助円の題目―「南無妙法蓮華経と一日に六万十万千万等も唱て、後に暇あらば時時は弥陀等の諸仏の名号をも口ずさみなるやうに申給はんこそ、法華経を信ずる女人」(定四〇四頁)とあり、『十章鈔』の「智者観念、愚者題目」(定四九〇頁)も同趣にて、佐後の一向唱題と異なる。
(4)『法華秀句』を引き終って、「当世の女人は即身成仏こそかたからめ、往生極楽は法華を憑まば疑なし」(定四〇四頁)とて、成をまだ許さず。 文永以前は往生すら許さなかったのに較べれば進んでいるが、佐後の事の即身成仏に比べれば及ばずと。
以後佐渡後の遺文については『開目抄』『佐渡御書』『真言諸宗違目』『法華取要鈔』『内証仏法血脈』『観心本尊抄』『諸法実相鈔』『己心仏界鈔』『如説修行鈔』『顕仏未来記』『富木殿御返事』(定一二六番)の十一書を引いて佐渡配流中の学の進展を示す。
以上を図示すれば、

図版


 なお加えれば、浄土論においては佐後は霊山往詣の行益を説くが、佐前にはなし。
互具論において佐前は理具一念三千、佐後は事具一念三千等々の差相もある。
故に遺文拝読のときは、右の差相に充分注意をはらうことが肝要である。
《『祖書綱要刪略』、望月歓厚「佐前佐後の法門の異相」『日蓮聖人御遺文義』三、『日蓮辞典』「佐前佐後」の項
(浅井円道)

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