四種三段
四種三段
ししゅさんだん
日蓮聖人自ら「当身の大事」といわれた『観心本尊抄』に開示された聖人独自の教判をいう。
三段とは経論の分科に用いられる序分・正宗分・流通分をいい、一代仏教から十方三世微塵の経教をこの三段に区分し、一代・十巻・本迹二経・本法と次第にその対象を局限して、妙法蓮華経の五字こそが本法の正宗分であり、その余の一切の経教は衆生をそこに導くための方便であると判ずるのである。
聖人は法華経の精神、仏の化意、即ち仏意というものから見て、一代仏教の廃立を論じ、広より略に入り略より要を取り、一代仏教の心髄、末法救済の要法は妙法五字なり、と択ばれる根拠としての深妙なる教判が四種三段である。
なお二経六段を迹門三段と本門三段とに開立して「五重三段」とも呼ぶ。
(一)一代三段=これは釈尊一代の経教を総括して一経と見、その序・正・流通を明かされたもので、一代聖教判釈の規範を定められたものである。
即ち『本尊抄』に「法華経一部八巻二十八品、進んでは前四味、退いては涅槃経等の一代諸経、惣じて之を括るに但一経也。
始め寂滅道場より終り般若経に至るまでは序分也。
無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗也。
涅槃経等は流通分也」と述べて、天台大師智顗の立てた五時教判の前四味の経を序分、法華三部十巻を正宗、涅槃部の経を流通とするのである。
法華三部において、仏は二乗作仏・久遠実成の二箇の大事を明して出世の本懐を開顕し、所化の教化を全うし能化の実事を顕したから、これを正宗真実の経とする。
爾前四二年の前四味の経々は、二乗作仏、久遠実成の大事を説かず、ただ法華経に開顕悟入せしめる準備のために説かれたものであるから、これを総じて序分とし、『涅槃経』は法華の化導に漏れた者を救う捃拾の教であり、また滅後の悪謗の機を救うための法華弘通の助証として説かれたものであるから、これを流通応用の経とした。
この一代三段は天台・伝教も未だ述べなかったところの日蓮聖人独特の見解である。
(二)一経三段=これは「十巻三段」ともいい、前の一代三段の正宗分たる法華三部十巻について、三段を分けるのである。
即ち『本尊抄』に「正宗の十巻の中に於て、亦序正流通あり。
無量義経・並に序品は序分也。
方便品より分別功徳品十九行の偈に至る十五品半は正宗分なり。
分別功徳品の現在の四信より普賢経に至る十一品半と一巻は流通分也」と述べられている。
開経たる『無量義経』は「四十余年未顕真実」「従一出多」と説いて、前四味の経を法華の序分、方便であると宣言し、序品は此他六瑞、文殊・弥勒の問答によって法華開説の発起をなすから、この一巻と一品を序分とする。
方便品より分別功徳品に至る十五品半は、正しく法華実教の心髄たる二乗作仏・久遠実成の二箇の大事を開顕しているから、これを正宗分とする。
分別品の現在の四信より勧発品に至る十一品半と結経の『観普賢菩薩行法経』とは、滅後持経者の功徳を説き、付嘱の儀式を示し、法華経の信行を勧発し、滅後末代に勧奨流布せしめんための説法であるから、これを流通分とする。
この一経三段は権実相対に属し、法華経と諸経と相対して、法華経の一代超絶を明示するものである。
日蓮聖人は仏の救済を得んとするものは法華経に来らねばならないとして、法華経の文段起尽を明らかにし、仏意の在る所を知らしめようとして、この一経三段を立てられたのである。
従って同じく法華三部十巻に三段を分つ日本天台が、単に開経『無量義経』を序分、『妙法蓮華経』を正宗分、結経『普賢経』を流通分、と形式的に三分するのとは異なり、『無量義経』の「四十余年未顕真実」等の文によって、諸経に対する法華経の独自性を示し、仏意を開顕せんがためのものである。
(三)二経六段=これは「二門六段」ともいい、前の一経三段を細分し本迹二門に各三段を分つのである。
法華一経には二乗作仏・久遠実成の二箇の大事が説かれ、その中間に滅後の流通を勧められた部分が存するから、法華一経を迹門と本門の二経に区分し、各三段を分けたのが迹門三段と本門三段である。
初めに迹門三段とは『本尊抄』に「又法華経等の十巻に於ても二経あり、各序正流通を具する也。
無量義経と序品は序分也。
方便品より人記品に至る八品は正宗分也。
法師品より安楽行品に至る五品は流通分也」と述べられている。
『無量義経』と序品とは前の一経三段の場合と同じく、正宗分のための準備として説かれた経であるから序分とし、方便品より人記品に至る八品は、法説・譬説・因縁説の三周説法により、開三顕一・十界互具・十如実相を説いて二乗作仏が定まり、所化の三根も授記作仏して迹門当分の脱益を得たから、これを正宗分とし、法師品より安楽行品に至る五品は、滅後弘通を勧奨されているから流通分とする。
しかし、迹門三段に十界互具・百界千如を明し、大通如来の種熟脱を論じて化導の始終、滅後の三益を示された仏意から見るときは、迹門が一代諸経に超勝した随自意難信難解の正法ではあるが、なお後の本門に比べれば、教主は始成正覚、所説は本無今有の百界千如であるから、随他意とするのである。
本門三段とは、「又本門十四品の一経に序正流通あり、涌出品の半品を序分と為し、寿量品と前後の二半と此を正宗と為す。
其の余は流通分也」と述べられている。
涌出品の半品とは、品の初めより本化涌出、弥勒の騰疑致請、他土菩薩の疑、分身仏の答の「仏今之を答えたまわん。
汝等自ら当に是れに因って聞くことを得べし」までで、正しく正宗分の開近顕遠の妙説を起す先序となるから序分とする。
寿量品の一品と涌出品の「爾の時に釈迦牟尼仏、弥勒菩薩に告げたまはく」以下の後半と、分別功徳品の十九行偈の「一切善根を具して、以て無上の心を助く」までの一品二半は、正しく釈尊並びに衆生の開迹顕本が説かれ、この顕本の経は滅後末法下種の要法を含有する真の三説超過随自意本懐の経であるから、これを正宗分とする。
分別功徳品の「爾の時に仏、弥勒菩薩摩訶薩に告げたまはく」より勧発品に至る十一品半と結経の『普賢経』とは、前の一経三段と同じく滅後弘通のために説かれた経であるから流通分とする。
本門は、教主は久遠実成、所説は十界久遠、久遠下種を説いて、迹門とは天地水火の相違があり、国土世間常住の義が顕れて、三千世間の法門は完備し、一念三千の妙観は究竟し、本門観心とは殆ど「竹膜」の僅差にすぎないと賞揚され、本門正宗の一品二半は三説超過の難信難解、随自意の正法とされる。
この二経六段については、天台も『法華文句』に述べているが、教主及び所説に約して『本尊抄』のように明確には示されていない。
のみならず天台の弘通は一経三段を主とし、諸経と法華経と相対して、二乗作仏十如実相と久遠実成との二箇の大事を挙げて、法華の一代独妙を説きながら、その主旨は方便品の十如実相に帰している。
日蓮聖人が「像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現し出現して、迹門を以て面と為し本門を以て裏と為し、百界千如一念三千其の義を尽せり。
但だ理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並に本門の本尊未だ広く之を行ぜず。
所詮円機有て円時無き故也」と評されるゆえんである。
これに対し日蓮聖人は本迹の教相に立脚し、二経六段を主として用いられ、本門三段の正宗一品二半を究竟の教相とされる。
また天台が二八品の分段に立つのに対し、聖人は十巻における分段を主とするの相違もある。
(四)本法三段=これは「文底三段」「法界三段」「観心三段」ともいう。
本法三段というのは種・脱の本法を詮顕するからである。
即ち、理に約すれば法界の根本法、教に約すれば仏の本地法、行に約すれば我々の本因法、証に約すれば一切の本果法である。
この本法を詮顕する三段であるから本法三段という。
また法界三段とは、法界の一切の経々を総括して一経とし、その中心所詮を明らかにするところから名けたのであり、寿量本法の広大さと統一性を示している。
教に約し所詮に約して文底三段・観心三段といい、理に約し所詮に約して本法三段といい、組織と意義とから法界三段というのである。
『本尊抄』に「又本門に於ても序正流通あり。
過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経、乃至迹門十四品・涅槃経等の一代五十余年の諸経、十方三世諸仏の微塵の経々は皆寿量の序分也。
一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く。
其の機を論ずれば徳薄垢重幼稚貧窮孤露にして禽獣に同じ也」と説かれている。
即ち、文底の寿量品を除く縦に過去・現在・未来の三世、横に十方に亘る一切の教法をすべて序分とし、末法下種の要法たる妙法五字を文底に秘めた寿量品を正宗分とする。
この寿量品とは文上教相の寿量品ではなく『本尊抄』次下の文に「内証の寿量品」「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字」とあるように、文底観心の寿量品の意である。
本法三段の判釈は『本尊抄』には序・正のみを挙げて流通分が明示されていない。
これについては古来より種々の説があり、一に本門三段の流通分に準じて、一品二半に対し流通の十一品半と『観普賢菩薩行法経』とを流通分とするもの。
二に遣使還告の仏勅に応じて末法に出現した本化上行菩薩を流通の体とするもの、即ち日蓮聖人の末法弘通を流通分とするもの。
三に在世・末法の法体に種脱の相異があり、脱益の本法は在世の教法、種益の本法は末法の教法であるから、末法下種の本法をもって流通分とするもの、の三説である。
今は第三説を至当とする。
即ち『本尊抄』の次文に「彼は脱、此は種なり、彼は一品二半、此は但だ題目の五字なり」と説くところの、下種の題目五字をもって末法流通の体とするのである。
四種三段の判意が教法を詮顕して末法の本法を立てるにあるから、教法において分別するのが適当である。
のみならず『本尊抄』次下にも「是好良薬」の本法と「遣使還告」の本化との間に、能弘・所弘の異りが認められるからである。
この本法三段は、法華経本門寿量の本法をもって、一切の経々を批判し、一切の経々を統一するところの教判である。
そしてこの本法が一切の教法の本源であると同時に、一切の帰趣目的であるとの、位置を確定するために設けられたのが本法三段である。
前の一経三段、二経六段については、天台・伝教等も、その名や主旨を説いているが、本法三段については、その名はもとより意義について全く触れることのなかったもので、正しく日蓮聖人独特の教判であり、霊山別付の本化上行の自覚に基づいて生み出された深妙の法門である。
《望月歓厚『観心本尊抄講義』『日蓮聖人御遺文講義』三巻、同『法華経講話』、田中智学『日蓮主義教学大観』四巻、『日蓮辞典』(東京堂出版)「四種三段」の項、『遺文辞典』教学篇「教(きょう)」の項(4)・「序正流通」の項目(4)・「文の底(もんのそこ)」の項》
(小松邦彰)