小乗教
小乗教
しょうじょうきょう
小乗とは大乗に対する語で、劣れる乗物を意味するが、そのことから、劣った教えを指す場合に用いる。
一般に小乗教とは、小乗の教法をいい、その教法の説かれている経典を小乗経という。
「小乗教」の語は『観心本尊抄』の本法三段の項に見られる。
即ち「一品二半の外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名づく」(定七一四頁)とあって、本門正宗分に当る寿量品の一品二半よりほかの教えは、久遠の本法ではないために、劣った小乗教で如来の正見が説かれていない邪教であって、しかも久遠実成の本因本果を成就していない未得道の教法、その上、久遠が開顕されていない覆相教であると示されている。
つまり本門正宗分の立場より余経の教えを規定すれば、それらはすべて小乗教ということになるのである。
ここに日蓮聖人の本門重視の立場を看取することができる。
ことに日蓮聖人の小乗と大乗の把え方は四阿含経の小乗経典とそれに対する余の経典を大乗と見なされるのではなく、大乗経典の中でも相対して、劣る教法を小乗と考えられている。
そのことは『小乗大乗分別鈔』に詳しいが、なかでも本門正宗分の立場からの小乗の規定は次の如く説かれている。
即ち「法華経寿量品に楽於小法徳薄垢重者と申す文あり、天台大師は此経文に小法と云ふは小乗経にもあらず、又諸大乗経にもあらず、久遠実成を説かざる華厳の円乃至方等・般若・法華の迹門十四品の円頓の大法まで小乗の法也。
(略)此心ならば涅般経、大日経等の一切の大小権実顕密の諸経は皆小乗経」(定七六九-七〇頁)とあって、久遠実成を説かない諸経典を小乗経と見なされ、しかもその教法を小乗教というのである。
同様の意味が『小乗小仏要文』(定二三一九頁)に図化されている。
《『遺文辞典』教学篇「小乗教」「小乗経」の項》