本因本果
本因本果
ほんいんほんが
本門教主釈尊の因行と果徳。
法華経寿量品には「我れ本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶いまだ尽きず、復上の数に倍せり」と仏の本因の修行が、「我れ実に成仏してよりこのかた無量無辺百千万億那由陀劫なり」と仏の本果の成道が説かれている。
即ち本門教主釈尊は如来寿量品において、自ら久遠実成を開顕し、無始無終(三世常住)の仏であることを示されたのである。
天台大師はこの文に本因妙・本果妙を論じ久遠釈尊の因行を本因・久遠成道を本果と規定している(『法華玄義』巻七-ただし天台大師引用の文と現行の経文とは少し異なる。天台大師引用の「我本行菩薩道時(略)」の「時」は現行の経文にはなく、現行経文の「我実成仏已来(略)」の「実」が天台大師の引用文にはない)。
仏寿久遠の開顕は爾前迹門の迹因迹果を会して久遠釈尊の因果に包摂するもので、これによって十界の互具が真実に究竟し「師弟倶に久遠」の世界が実現する。
日蓮聖人はこれを『開目抄』に「本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界の因果をとき顕はす。これ即本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備て、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(定五五二頁)と述べられている。
本因本果は仏の久遠の実修と果徳である。
一念三千は色心因果であるゆえに、仏の久遠の因果を一念三千と換言することができる。
このようにして本因本果とは仏の一念三千即ち仏種として受領され、『観心本尊抄』に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」(定七一一頁)と明記されるにいたるのである。
本因本果即妙法五字の論理的背景には一念三千論や仏種論等の問題があるが、詳細についてはそれぞれの項を参照されたい。
『観心本尊抄』では前掲の寿量品の文に観心の法門を説示されている。
即ち天台大師が本因妙の依文とされた「我本行菩薩道(略)」に「我等が己心の菩薩等也。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属也」、本果妙の依文とされた「我実成仏已来(略)」に「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏也」(定七一二頁)と述べ、五字受持による自然譲与の世界を開陳されているのである。
これは『開目抄』に「真の十界互具・百界千如・一念三千」と示され、『観心本尊抄』に「所化以同体」(定七一二頁)と表現された「師弟倶に久遠」の世界である。
本因を久成の人たる地涌の菩薩とすることは聖人の特異な見方であり、五字受持に本因本果を己心の所具とする受持譲与論と共に他に例を見ない。
《『遺文辞典』教学篇「本因本果」の項、『日蓮辞典』「本因本果」の項》