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無量義経

むりょうぎきょう #4049

無量義経

むりょうぎきょう

(一)一巻。
蕭斉曇摩伽陀耶舎訳(四八一年)。
他に劉宋求那跋陀羅訳一巻があったが現存していない。
法華三部経の一で開経とされる。
説処は霊鷲山
徳行品・説法品・十功徳品の三品よりなる。
徳行品第一は徳を讃歎するもので序分、説法品第二は大荘厳菩薩に無量義の法門を説くもので正宗分、十功徳品第三は経の十種の不可思議功徳力を説き大荘厳菩薩・八万の大菩薩に付属するもので流通分とする。
無量義の法門とは「性欲無量なるが故に説法無量なり、説法無量なるが故に義も亦無量なり。無量義とは一法より生ず、その一法とはち無相なり」と説かれる従一出多(じういつすいた)のえである。
「一」とは「唯有一乗法」の法華経、「多」とは方便権経である爾前諸経をいう。
爾前法門は衆生の性欲(しうよく)に応じて説き示されたもので、法華一乗の真実を開示するための方便えである。
はこれを「性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず」と説かれている。
四十余年未顕真実」の文は爾前諸経と法華経との勝劣を判釈するもので、これをもって法華経開出の先とする。
日蓮聖人遺文中に法華最勝の証文としてこの文をしばしば引用されている。
また『観心本尊抄』には仏種を論述する前提として十功徳品の「諸仏の国王と是の経の夫人(ぶにん)と和合して、共に是の菩薩の子(みこ)を生ず」の文が引かれている。
釈尊(諸仏の国王)と法華経(是の経の夫人)によって生ずる菩薩子こそ、久遠に生きる本化の大菩薩である。
更に『開目抄』『観心本尊抄』では十功徳品の第七封賞不思議力の文(「未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も、六波羅蜜自然に在前せん」)を引いて、法華経功徳の証文とされている。
なお日蓮聖人は法華経を十巻と称したり、一経三段の分科においても開・結二経を含めて実質的には十巻三段とするなど、法華三部経を法華経として依用される場合が多い。
なお本経は『正蔵』九巻、『一』二七巻「度撰述部」所収(→かいきょう・開経)。
(二)法華経の異名。
天親の『法華論』(巻上)に法華経の異名として十七名を説く文中、無量義経について「字義を成就するが故に、この法門を以て彼の甚深の法妙境界を説くが故に。彼の甚深の法妙境界とは諸仏如来の最勝境界なるが故に」とある。
無量の義が法華経において成就するところから法華経を無量義経と称する。
《『遺文辞典』歴史篇「無量義経」の項、『大蔵経全解説大事典』「〇二七六・無量義経」の項、『大乗経典解説事典』「法華部」、『日蓮辞典』『仏書解説大辞典』「無量義経」の項》

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