妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

一体三法

いったいさんぼう #23

一体三法

いったいさんぼう

(1)心法・仏法衆生法の三法その体一にして、三法一々にそれぞれみなこの三の義を具すということ。
華厳経』には「心、仏、及び衆生、是の三差別なし」と三法の平等無差別をいうが、聖人は『三八教』(定二二二八頁)などで「三(法)の妙、法華に在りてはじめて妙と称する事を得」とし、三法は法華経の十界互具一念三千の義によって初めて融妙相し一体となると説く。
(2)一妙日導の釈尊妙法蓮華経と我らとこの三法一体であるとの説。
日導は『祖書綱要』(一巻二六-三三)の中で五大本体論から、本仏釈尊の本体も地水火風空の五大であり、その因行果徳妙法五字五大よりなり、また我らの身体も五大から造られている。 従って妙法五字を受持すればその当処、我らと釈尊とは一体不二であり、即妙法五字であるとし、釈尊と妙法と我らと三法一体差別なしと論じ、成仏の極理、法界の本とする。 「釈尊と法華経と我等とこの三全体不思議一法なるによるが故に、我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」(一巻三三)という。
《『遺文辞典』学篇「三法」の項(2)》

← 事典トップ