妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

事成

じじょう #384

事成

じじょう

成仏本門成仏顕本に則して論じる事成顕本
法華経本門寿量品では仏の本地が開顕され、釈尊が久遠以来の教主であることが明かされた。 これを『開目抄』には「迹門方便品一念三千二乗作仏を説いて爾前二種の失一つを脱れたり。 しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。 水中の月を見るがごとし。 根なし草の波上に浮べるににたり。 本門にいたりて、始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる。 四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ。 爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界因果をとき顕わす。 此れ本因本果法門なり。 九界も無始の界に具し、界も無始の九界に備りて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(定五五二頁)と述べられている。 発迹顕本に真の十界互具・百界千如・一念三千を観た日蓮聖人は、釈尊の本地開顕を本因本果法門に信解されたのである。
大乗経は、法身の無始無終は説いても応身・報身顕本は説かない(『開目抄』定五五三頁)。 本門にいたって、初めて三身顕本が明かされたのである。 本門教主釈尊は三身即一(三身相即)の久成身であるゆえに、三世を化益し諸を能統一するである。
このようにの遠寿を開顕することを顕本と称するが、顕本の仏を久成の三身とせず、法身(法身顕本)、応身(応身顕本)、報身報身顕本)とする説がある。 法身顕本は無始無終の理法身、応身顕本は有始有終の応現身、報身顕本は有始無終(修因感果)の報身の開顕をいう。 日蓮聖人滅後の教団の展開をみると、行学院日朝(一四二二-一五〇〇)、一妙院日導(一七二四-八九)らの一致派においては法身顕本を、八品派の慶林房日隆(一三八五-一四六四)らは報身顕本を、妙満寺派の合掌院日受(一六九二-一七七六)らは応身顕本をそれぞれ正意とした。

リンク

← 事典トップ