他受用御書
他受用御書
たじゅゆうごしょ
八冊(目録共八巻)。
一〇八篇の録外御書を収録し、慶安二年(一六四九)五月、京都書房宗全より刊行され、次いで寛文九年(一六六九)京都法華宗門書堂から刊行された。
録外御書刊行の初めである。
内題は「録外御書 他受用」。
第一次の編纂である録内御書を自受用の意味に解し、第二次編纂の録外御書であるところから「他受用」とされたものとされる。
本書の編物を一如院日重と伝えるが確証はない。
今日、写本録外として日朝の身延録外(一二七書)、日意所持録外、日重の本満寺録外(二〇三書)、三宝寺録外(二三三書、目録のみ現存)、妙覚寺録外が現存し、未見だが真如院日住蒐集の日健写本録外、玉沢録外があるという。
しかし本書と現存する諸写本と比較するとき、その篇数においても、その内容においても異なり、その関係を認めることはできない。
そこで浅井要麟は本書の収録遺文が一〇八篇で、三宝寺録外、本満寺録外に比べ、収録遺文が少ないのは、より原始的な集成と考え、日朝の身延録外の次に位置づけた。
しかし、この説は高木豊が指摘するように、録外集成の地域を考慮せず、時間的に直線化してのことであり、検討を要する。
本書の集成がどこでなされたかは、本文の識語にそのてがかりを求めることができる。
本書は草稿とした写本の識語まで鏤刻しているが、それは本書集成の地域をさぐる一つの史料を提供する。
即ち『四条金吾殿御書』(第三巻)に「御自筆法華寺在之」(最末)とあり、『成仏用心抄』(第三巻)に「私に云く御自筆の本真間に御座候」(最末)とあり、『真言所破事』(第五巻)に「伝に云く御自筆中山に御座す仍て祐師安国論の見聞に自身御所持の由載せ給云云」(巻首)とあり、『太田殿転重軽受事』(第六巻)に「本に云く日尊上人の御本を以って之を写す、御自筆の三伝也、此の御真筆は真間にあり、然るに真間の日満真間を退出の時所持候て市河の村に於て焼失と云云」(最末)とある。
これらの識語はいずれも中山との関係を示しているが、これら次の二点が想定できよう。
一つは本書の草稿となった写本は京都で集成され、京都中山門流の僧が中山で校合し京都で刊行した。
二つは中山を中心とする関東で集成され、京都に伝えられ、そこで刊行した。
前者は本書が慶安二年(一六四九)に京都で刊行されていることに重点をおいた高木豊の説であるが、識語による限り、京都で集成されたことを示すものは何もない。
ここでは識語により草稿となった写本は関東で集成され、その後京都に伝えられた(あるいは刊行するために)と考えたい。
そして本書一〇八篇のうち、録内重複及び録内断片の竄入を除き、およそ一〇〇篇の遺文が、やがて寛文二年(一六六二)二月、山屋治右衛門によって刊行される『録外御書』二五巻二五九書のなかに編入されていった。
《『昭和新修』別巻、高木豊「録外遺文に関する書誌学的覚え書」『日蓮聖人研究』、『遺文辞典』歴史篇「他受用御書」の項》