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京都法華宗

きょうとほっけしゅう #480

京都法華宗

きょうとほっけしゅう

京都の日蓮団の総称。
初め東を舞台とした法華宗は、やがて鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、線を京都に伸ばしていった。
日蓮聖人には、〈京都=王城弘通〉の意図はなかったと考えられていたが、これは否定すべきであろう。 現状で否定すべき要因三項を列記する。
一、経一丸=日像への弘通委嘱の史話があることで、この史実、像師の活動実をどうするのか。
二、遺文中の公場対決宗論要請にかかわる諸書が存することをどうするのか。
①『未驚御書』、②『強仁状御返』、③『諸人御返』等の文上と文底に込められた聖意をいかに汲みとるのか。
三、聖滅後、門弟諸師の相次ぐ申状を呈しての果敢な帝都開教の実をどのように解するか。
これらは聖人に帝都弘通の意志が存した証拠と考えられる。
日像をはじめとして、この代は鎌倉から京都への移動と王城弘通の使命感とが、線を京都に伸ばしていったのである。
最初にこの京都弘通を達成し、京都法華宗の源流をつくったのは、日朗の弟子日像と日朗の孫弟子に当る日静、および日興の弟子日尊(にちそん)であった。
日像は四条櫛笥(くしげ)に妙顕寺を開創してえを弘め、同寺を後醍醐天皇の勅願寺とすることに成功、更に武家の祈祷所の位置も獲得した。
日像の門流四条門流とよぶが、この門流から、日実の妙覚寺、妙光坊らの立本寺、貴族庭田家出身の日応を開山とする妙蓮寺が分立、更に日隆が本能寺を創建し、本迹勝劣を主張して日隆門流・八品派を始め、後にも日真が独立して本隆寺に拠り、日真門流・本隆寺派を開いた。
一方、日静は日朗のの弟子で越後本成寺を創立した日の弟子、六条堀河に本国寺を開創、六条門流を始め、本成寺を日陣に、本寺を日伝に譲った。
日陣は日伝と本迹勝劣を争って独立、本禅寺を創建して日陣門流・本成寺派を形成した。
更に日尊は、日興の後に富士大石寺を継いだ日目の上洛に随い、その途中で日目没するや、同行の日郷と共に法門上奏を達成した後、上行院を建てて京都弘通の本拠とし、これを弟子日源に譲ったが、日尊の弟子日大は別に上行院を創建。 同寺は後に住本寺と改められた。
日陣分立のころ、中山門流に属した日什も上洛して妙満寺の基を開き、日什門流・妙満寺派を始めた。
中山門流ではこれより遅いが、日親の本法寺を中心にした活動が目ざましく、同門流の日祝(につしゆう)は頂妙寺を開創した。
また身延門流に属す日意による妙伝寺開創もある。
それらのほか文(てんぶん)の初めごろ(文元年=一五三二)には、月ごとに二、三ヵ寺の法華宗寺院が建立され、京都の大半が題目の巷(ちまた)と化したといわれている。
こうして、上京には妙顕寺・住本寺・妙伝寺・妙覚寺・頂妙寺・本満寺など、下京には本国寺・妙満寺・立本寺・本能寺・妙蓮寺・上行院・本法寺・妙泉寺・本隆寺・本禅寺・本覚寺・宝国寺・学養寺などの本寺が存在し、このほか場所は不明だが、弘経寺と大妙寺のあったことが知られ、これら寺院が京都法華宗の中心的位置を占めて、二十一箇本山とよばれたのであった。
これら〈本山=本寺〉には末寺および門徒が存在していて、それらを合わせれば洛中・洛外におよぶ京都法華宗の社会的勢力はまことに巨大であったといえる。
しかし外側から見れば、これらは法華宗日蓮宗として総括されるが、門流の間には養上や弘通の面からする対立があった。 従って対立を和融させようとする動きもあり、延暦寺僧徒法華宗攻撃の機運による寛正の盟約はそうした動きを踏まえていた。
中世京都法華宗は公家・武家にも接近したが、その社会的基盤の中心に町衆(まちしゆう)があった。 中世末期の打続く動乱の中で、町衆は自衛体制を組織、自治能力を増大させていった。
日蓮聖人の〈娑婆=釈尊御領、娑婆常寂光土〉の考えは、町衆にこの世における常寂光土の実現を志向させていった。
こうした町衆法華宗の僧による自治と自衛とは、既成教団に彼らの抑圧を意図させ、遂に天文五年七月、延暦寺僧徒を中心とする勢力は京都法華宗を総攻撃、洛中諸寺院を焼き払った。 洛中・洛外の法華門徒は応戦したが、支え切れず堺にその本拠を移した。
これが文法華の乱で、中世京都法華宗の終焉であった。
堺に移った法華宗は京都還住の勅許を得るべく、有縁の貴族を介して朝廷に働きかけ、文一一年還住を許された。 ただし、勅許以前に還住した寺院もあった。
かつての二十一箇本山は合併その他により一五ヵ寺となり復興された。 この復興を支えたのも京都町衆であった。 近世京都法華宗の始まりである。
やがて文禄年において、まず京都法華宗を二分する件が起る。 受不施と不受不施の分裂がそれであった。
更に東法華宗の進出によって形成された京都法華宗は、この時期、逆に東に進出していくのであった。
立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史』上、宮崎英修『不受不施派の源流と展開』、同「宗号論争」『続・日蓮宗の人びと』、藤井学「西国を中心とした法華教団の展開」『仏教史学』六-一、同「法華一揆と町組」京都市編『京都の歴史』》

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