妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

本寺

ほんじ #3389

本寺

ほんじ

寺院組織における上下関係の秩序において、上格にあって下格の末寺を支配する寺院の一般的な呼称。
本寺といっても各寺院組織のもつ宗派的・地域的・個別的な特によって、それぞれの呼称も在り方も異る。
ふつう、大本寺(大本山)、中本寺、小本寺、などというが一本寺私本寺という呼称もある。
日蓮宗では総本寺とは身延山久遠寺(現・山梨県身延町、なお現在では祖山と呼称)、大本寺とは池上本門寺(現・東京都大田区)、中山法華経寺(現・千葉県市川市中山)、京都妙顕寺(現・京都市上京区寺ノ内通新町西)同本圀寺(現・京都市山科御陵大岩)、なお四ヵ寺は現在「霊跡寺院」と呼称。
この外の本寺はただ単に本寺といっている。
なお、この内には現在、霊跡、由緒寺院と呼称している場合が多い。
また、関東三本寺とは池上本門寺に比企谷妙本寺(現・鎌倉市比企谷)、中山法華経寺のことをいう。
鎌倉本寺とは比企谷妙本寺に小町の本覚寺(東身延との呼称あり)、名越松葉谷の妙法寺のことをいう。
朗門三長三本寺とは比企谷妙本寺、池上本門寺に平賀本土寺(現・松戸市平賀)のことをいう。
京都十六本寺とは、妙顕寺、本圀寺を筆頭にして要法寺(現・京都市左京区新高倉通孫橋上ル)、妙覚寺(現・京都市上京区新町通鞍馬口上ル)、妙満寺(現・京都市左京区岩倉幡枝)、立本寺(現・京都市上京区七本松通り仁和寺街道上ル)、本禅寺(現・京都市上京区寺町通広小路上ル)、本満寺(現・京都市上京区寺町今出川上ル二丁)、妙蓮寺(現・京都市上京区寺ノ内通大宮東入)、本能寺(現・京都市中京区寺町御池下ル本能寺前)、本法寺(現・京都市上京区小川通寺ノ内上ル)、妙泉寺(現・京都市左京区仁王門通東大路西入、寂光寺内)、妙伝寺(現・京都市左京区東大路二條下ル)、本隆寺(現・京都市上京区智恵光院通五辻上ル紋屋町)、頂妙寺(現・京都市左京区仁王門通大菊町)、寂光寺(現・京都市左京区仁王門通東大路西入)である。
これら本寺の存在や呼称は、それぞれの成立情によって違っており、当然のことながら組織と能も異る。
たとえば、京都十六ヵ本寺は天文法華の乱以前は二十一ヵ本寺と呼称され五ヵ寺分が多い。
また十六本寺は「会本」という横の連絡組織をもち、月一回の会合をなし、最高の意志決定関の役割を果していた。
その上、十六本寺は小グループに分れ組寺を形成しており、複合的な構になっていたことが明らかになっている。
更に、祖山とされる身延山久遠寺が日蓮宗総本寺として名実共に確立するのは明治八年(一八七五)以降である。
それ以前は不受不施論争および各門流の成立事情などの理由によって激しく対立しており、江戸幕府の身延公認下においても、身延門流内においてすらも、身延山久遠寺を総本寺と認めることには激しい反発があったことが明らかとなっている。
ともかく日蓮宗本寺の数については時期において一定しておらず、江戸時代では一応各派教団の頂点に立つ本寺身延以下三八ヵ寺が一般に知られている。
本寺住職は一般には貫主と呼称される場合が多く、別当寺主院主などとも呼称され、その付属は前貫主の弟子の内から人選されるのがふつうで、「器用の人」をもって選び、きまらない場合は「くじ」によって選んだ。
江戸代には檀林制度が確立すると、学閥による派閥ができ、派閥人事によってことが進み、貫主となる条件に「出世寺」と呼称される制ができる。
つまり貫主となる僧侶出世寺とされる住職になった者に限られたのである。
この外、比企谷妙本寺の貫主は池上本門寺の貫主をかねたり、日隆門流の本能寺貫主は本興寺貫主が選ぶというような両寺一寺制の本寺もある。
日什門流では上足の者が妙満寺の輪番を務め永代貫主を定めぬ場合もあったのである。
《『日蓮団全史』上、『身延山史』、影山堯雄『日蓮教団史概説』、坂本勝成「京都妙覚寺本末考」『近世法華仏教の展開』、同「近世における寺院の「組合・法類」制度について」『日本における政治と宗教、『遺文辞典』歴史篇「本寺」の項

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